先日もブログに「芥川城跡からの戦国時代の囲碁の碁石の発掘を市HPに掲載しないのは、将棋振興に『不都合な真実』だから?」のタイトルで記事を書きましたが、12月議会の一般質問ではこの件も取り上げました。
質問の最後に、私は次の意見を述べました。
江戸時代後期の将棋の駒は盛んに宣伝するのに、芥川城跡から出土した戦国時代の碁石のことは、市のHPに何一つ載せず、展示もしなくなったというのは、不自然ではないでしょうか?
「高槻市将棋のまち推進条例」の前文には「我がまち高槻は・・・数多くの歴史遺産が所在しており、高槻城の三の丸跡からは江戸時代の小将棋や中将棋の駒が多数発掘され・・・」と書かれています。マスコミに対しても、高槻市は、「将棋のまち」としてPRする理由を、江戸時代の将棋の駒が数多く見つかっているからだとしているようです。
けれども、江戸時代とはいっても、江戸時代の後期で、戦国時代の芥川城跡の碁石のほうが、250年も古いわけです。そうすると、高槻では、将棋よりも、囲碁のほうが、長年、たしなまれてきたと考えられるのではないでしょうか?
以前は、碁石を展示していたということですが、現在では、不自然なことに、「芥川城と三好一族」の常設展示がされているのに、そこでも展示がされず、市のHPにも一切記載がありません。一方で、高槻市の文化財課の職員の方は、大東市では、昨年の講演で、碁石の写真を見せて、碁石も発掘されましたと説明しているわけです。
高槻市は、将棋を振興するために、戦国時代の碁石の存在を、高槻市民に知られないように、意図的に消し去っているのではないのでしょうか?
文化庁のサイトには、文化財について、「我が国の長い歴史の中で生まれ,はぐくまれ,今日まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産」だと書かれています。高槻市役所は、その国民的財産である文化財を預かっているわけです。仮に、その文化財の一部を、不都合だからといって、市のHPに載せなかったり、展示しなかったりして、歴史の真実を隠すようなことがあれば、非常に問題だと思います。
三好長慶は、織田信長に先駆けた、戦国時代最初の「天下人」だと、評価が高まっていて、三好長慶やその息子の義興が、居城の芥川城を、政庁としていたことから、「三好政権」や「芥川政権」と、呼ばれています。
まさにその頃に、芥川城で使われていた碁石には、特徴はないのでしょうか?魅力はないのでしょうか?
将棋の駒を展示するなら、この碁石も展示してください。HPにも載せてください。
江戸時代後期の将棋の駒が出土したことを理由に、将棋の振興をするのなら、戦国時代の碁石が発掘されているわけですから、囲碁の振興も行ってください。囲碁のイベントも開催してください。
提案と要望をしておきます。
以下は先日の本会議でのやり取りです。原稿とメモに基づいているので不正確な部分もあることをお許しください。
令和6年12月議会 一般質問
■6.戦国時代の碁石の発掘等について
<1回目>
(1)元高槻市教育委員会参事の堀孝氏の論文に、平成5年に高槻市教育委員会が芥川城跡を発掘調査したところ、囲碁の碁石も検出されたと記載されていました。その論文には、「碁石といえば囲碁の歴史は古く・・・室町時代には武士や庶民に広がり・・・さぞ芥川山城でも打たれていたであろう。戦国時代の城主たちの暮らしのロマンがしのばれる・・・」とも書かれていました。
芥川城跡からは、碁石が、どのような状態で、何個くらい発掘されたのでしょうか?現在、どこにあるのでしょうか?どこかに展示されているのでしょうか?お答えください。
⇒芥川城跡からは、碁石と推定される石が4個見つかっており、埋蔵文化財調査センターに保管し、展示はしておりません。
(2)高槻城跡からは将棋の駒が発掘されましたが、芥川城跡から出てきた戦国時代の碁石と比べると、どちらが、どれくらい古いと考えられるのでしょうか?お答えください。
⇒高槻城跡の将棋の駒は江戸時代のものであり、芥川城跡の碁石はそれより古い戦国時代のものと考えられます。
(3)高槻市のHPを見ると、高槻城跡から将棋の駒が発掘されたということは書かれているのですが、芥川城跡から発掘されたものの中に、碁石が含まれているということは書かれていませんでした。
高槻市のサイトで「碁石」で検索しても、「一致する結果はありません」と表示されるので、「碁石」という単語すら、存在しないようです。
なぜ、市は、高槻市で碁石が発掘された事実を、HPに掲載しないのでしょうか?理由をお答えください。
⇒たかつき歴史Webにおいては、本市の歴史文化への理解を深めていただけるよう、特徴的な文化財を中心に、その魅力を広く発信しております。
<2回目>
(1)昨年2月に、大東市で、高槻市の文化財課の職員の方が、講座の講師をされていましたが、その際に、スライドで、4つの碁石と硯が写った画像を使っておられました。ところが、しろあと歴史館の「芥川城と三好一族」の常設展示には、硯は展示されていても、碁石はありません。なぜ、スライドの画像と同じように、碁石も並べないのでしょうか?お答えください。
(3)しろあと歴史館には、「紹介 将棋のまち高槻」と大書されたブースがあって、プロ棋士の皆さんの色紙も飾られていました。高槻市では、将棋の駒だけではなく、囲碁の碁石も発掘されているわけですから、将棋の駒を展示するなら、囲碁の碁石も展示しないと、バランスを欠くのではないでしょうか?なぜ、碁石も展示しないのか、理由をお答えください。
⇒1点目・3点目につきましては、しろあと歴史館では、それぞれのテーマに沿った内容で展示しており、過去には碁石を展示した実績がございます。
(2)市の出版物には、高槻城三の丸跡から発掘された将棋の駒については、「江戸時代後期」と書かれていました。戦国時代の芥川城の碁石と比べると、300年くらい後のものと考えてよろしいでしょうか?お答えください。
⇒芥川城跡の碁石は江戸時代の将棋の駒より、およそ250年前のものと考えられます。
(4)高槻市のサイトでは、特徴的で魅力的な文化財を発信しているので、高槻市で碁石が発掘された事実は、掲載しないということのようです。
天下人・三好長慶の居城であり、「芥川政権」の政庁であった芥川城跡から発掘された戦国時代の碁石には、特徴や魅力はないのでしょうか?高槻城跡の江戸時代後期の将棋の駒と比べると、どちらが特徴的で、魅力的なのでしょうか?見解をおきかせください。
⇒本市としましては、高槻城跡から出土した将棋の駒に限らず、さまざまな文化財の魅力を適切に紹介しております。
<3回目>
あとは意見を述べます。
江戸時代後期の将棋の駒は盛んに宣伝するのに、芥川城跡から出土した戦国時代の碁石のことは、市のHPに何一つ載せず、展示もしなくなったというのは、不自然ではないでしょうか?
「高槻市将棋のまち推進条例」の前文には「我がまち高槻は・・・数多くの歴史遺産が所在しており、高槻城の三の丸跡からは江戸時代の小将棋や中将棋の駒が多数発掘され・・・」と書かれています。マスコミに対しても、高槻市は、「将棋のまち」としてPRする理由を、江戸時代の将棋の駒が数多く見つかっているからだとしているようです。
けれども、江戸時代とはいっても、江戸時代の後期で、戦国時代の芥川城跡の碁石のほうが、250年も古いわけです。そうすると、高槻では、将棋よりも、囲碁のほうが、長年、たしなまれてきたと考えられるのではないでしょうか?
以前は、碁石を展示していたということですが、現在では、不自然なことに、「芥川城と三好一族」の常設展示がされているのに、そこでも展示がされず、市のHPにも一切記載がありません。一方で、高槻市の文化財課の職員の方は、大東市では、昨年の講演で、碁石の写真を見せて、碁石も発掘されましたと説明しているわけです。
高槻市は、将棋を振興するために、戦国時代の碁石の存在を、高槻市民に知られないように、意図的に消し去っているのではないのでしょうか?
文化庁のサイトには、文化財について、「我が国の長い歴史の中で生まれ,はぐくまれ,今日まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産」だと書かれています。高槻市役所は、その国民的財産である文化財を預かっているわけです。仮に、その文化財の一部を、不都合だからといって、市のHPに載せなかったり、展示しなかったりして、歴史の真実を隠すようなことがあれば、非常に問題だと思います。
三好長慶は、織田信長に先駆けた、戦国時代最初の「天下人」だと、評価が高まっていて、三好長慶やその息子の義興が、居城の芥川城を、政庁としていたことから、「三好政権」や「芥川政権」と、呼ばれています。
まさにその頃に、芥川城で使われていた碁石には、特徴はないのでしょうか?魅力はないのでしょうか?
将棋の駒を展示するなら、この碁石も展示してください。HPにも載せてください。
江戸時代後期の将棋の駒が出土したことを理由に、将棋の振興をするのなら、戦国時代の碁石が発掘されているわけですから、囲碁の振興も行ってください。囲碁のイベントも開催してください。
提案と要望をしておきます。
⇒ただいま、北岡議員から様々ご意見を頂戴しましたけれども、文化財の魅力発信に関して、ご発言いただきました。文化財の価値でございますが、歴史の新しい・古い、それだけではなくて、様々な特徴、それから歴史的な位置付けなどによって、個々に評価されるべきものだと考えております。特定の文化財を発信することによって、他の文化財の価値を否定するものでもありませんし、繰り返しになりますけれども、本市においては、今後、時機に応じまして、適宜、本市の有する文化財を展示していきたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。
※三好長慶の画像はAIに描いてもらったものです。
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高槻ご意見番 代表 北岡隆浩(高槻市議会議員)