高槻市が、平成21年3月26日に、以下の賞を贈ったことが分かりました。
国際文化交流貢献賞
財団法人 民主音楽協会
創立者 池田大作 様
貴殿は世界の平和と人類の幸福の実現を目指し
平和・文化・教育の推進に情熱を傾けられ 世界的な御貢献を重ねてこられました。
とりわけ貴殿の設立された「民主音楽協会」が取り組まれてきた
地域音楽文化の活性化へ向けての「地域コンサート」が
高槻市で開催されてより 本年で三十五周年の佳節を迎えることになります
世界の相互理解と友情の深化を草の根の市民レベルで推進してこられた永年に亘る実績は 市民文化の興隆発展に大いに寄与するものであります
よってその数多の御功績をたたえ ここに国際文化交流貢献賞を贈り 深甚なる敬意を表するとともに感謝申し上げ 顕彰します
平成二十一年三月二十六日
高槻市長 奥本務
当日、奥本務高槻市長は、秘書室長と共に、専用車と呼ばれる運転手付きの公用車に乗って、高槻現代劇場へ赴き、民主音楽協会主催の公演を終了まで観賞した後、「『国際文化交流貢献賞』贈賞式 高槻市」の横断幕が掲げられた舞台に登壇し、上記の賞状を読み上げ、池田大作氏の代理である小林代表理事に賞状を手渡しました。
このために、運転手の職員は、同日午後5時15分から午後9時50分までの4時間35分、残業をしました。
奥本務さん個人ではなく、「高槻市長」として賞を贈るということは、高槻市民の代表として贈賞するということになりますが、果たして、この賞の贈呈について、納得する市民の方は、どれだけの割合でおられるでしょうか。
何故高槻市がこの賞を贈ったのか。高槻市の言い分によれば、高槻市の外郭団体である財団法人高槻市文化振興事業団(「平和への大道展」も後援)から、民主音楽協会(創立者 池田大作)宛に感謝状を贈呈するよう推薦されたからだ、とのこと。
高槻市は、「高槻市感謝状贈呈内規」の第1条第4項「その他、市長が必要と認めたもの」という条文を根拠として、あくまでも「感謝状」の扱いで贈賞したとのことです。
私は民主音楽協会のこのを批判しているわけでは一切ありません。団体としての活動実績は少なからずあると思います。
けれども何故、高槻市は、団体の「創立者」個人に賞を贈るのか。普通なら団体そのものに賞を贈るはずです。団体の活動に実績があったとしても、その創立者に賞を贈るというのは、聞いたことがありません。
私は、この件についても、6月議会で質問をしたのですが、何故この賞を贈ったのかと尋ねると、高槻市は「民主音楽協会の高槻における35年に及ぶ活動実績」を考慮したのだと。重ねて、なぜ35年なのか、35という数字に何か根拠はあるのかと尋ねると、「プッ」と噴出す声が議場から聞こえてきました(笑)。35周年というのが中途半端で、根拠薄弱だというのは自明です。
「国際文化交流貢献賞」というのは、いつ出来たのか?誰がこの賞の名称を決めたのか?今後もこの賞を続けていくのか?それとも今回限りなのか?感謝状としては、異例の長さの文章だが、この文章は誰が考えたのか?誰かから、賞の名前や賞状の文章について注文があったのか?と質問しましたが、「財団法人民主音楽協会の功績をより分かりやすくしたもの」というような答弁があっただけでした。
実は、高槻市には「高槻市表彰条例」というものがあり、平成5年4月1日より施行されています。
この条例の第2条では、表彰の種類として、名誉市民賞、特別名誉市民賞、有功者賞、顕功賞、功労賞、特別功労賞、篤行賞の7種類が定められており、これ以外の「○○賞」といったものは存在しません。同条例第3条から第9条では、第2条の7種類の各賞について、それぞれの表彰の要件等が定められています。
つまり、高槻市において「○○賞」というものは、表彰条例に基づくものしか贈呈できないのです。表彰条例に拠って、受賞の要件も厳格に定められているわけですから、この条例の存在によって、賞の粗製乱造が防止されているといえます。粗製乱造がされないから、高槻市が公式に贈る賞には、社会的な名誉が担保されているということもできると思います。
ところが、今回、「国際文化交流貢献賞」なる賞が、条例によらずに、勝手に設けられました。これは明らかに、表彰条例に違反、あるいは表彰条例を潜脱する行為です。
表彰条例の第16条には「第2条に規定するもののほか、市政の進展に功労があったもの又は貢献したもので市長が特に必要と認めるものに対し、感謝状を贈ることができる。」と感謝状についての定めもあります。
「国際文化交流貢献賞」はあくまでも「感謝状」だと、高槻市は言うかもしれません。しかし、条例で「感謝状」とされているものを、「国際文化交流貢献賞」などと勝手に名称を変更してよいはずがありません。勝手な名称変更が許されるなら、何でもありになってしまいます。
団体の「創立者」ということで、強引に個人に対して、条例に反して前例のない賞をつくって、35年という中途半端な節目で贈るというのは、誰がどう見ても不自然です。賞状の文章も、高槻市とは無関係な「世界的な御貢献」等を挙げ、主として池田氏を礼賛する内容で、民主音楽協会の実績の顕彰の範囲を超えていますし、感謝状としては異例です。
何のためにこんなことをやったのか。それは、奥本市長個人の政治的もしくは宗教的な目的を達成するために、地方公共団体である高槻市の名を悪用して、池田大作氏への権威付けを行ったのだとしか考えられません。
これは、まさに、行政の私物化ではないでしょうか?
また、池田大作氏が、宗教法人創価学会の名誉会長であり、SGI(創価学会インターナショナル)の会長であることは、広く知れ渡った公然の事実ですから、「高槻市長」の名の下に、「世界的なご貢献」などと礼賛して、「国際文化交流貢献賞」を贈呈し、池田大作氏へ権威付けを行ったことは、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、・・・これを支出し、又はその利用に供してはならない。」と定める憲法第89条に抵触する可能性もあると私は思います。
奥本市長は「高槻ブランド戦略」を推進していますが、こんなことをすると、多くの市民・国民から失笑を買って、高槻市のブランドイメージは傷つくのではないでしょうか。
奥本市長は3期目ですけれども、3期目になってから、「平和への大道展」についての広報の問題、そしてこの「国際文化交流貢献賞」の問題と、立て続けに宗教がらみの問題が起きたのはいったい何故なんでしょうか?今後もこのようなことは続くのでしょうか?
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-【追記】
京都市でも、同じような賞が池田大作氏に贈られていました。
【政教新聞2008年12月1日】京都市 民音創立者に国際音楽文化交流貢献賞
京都市から民音創立者の池田名誉会長に、「国際音楽文化交流貢献賞」が贈られた。
授与式は11月30日、京都会館で開催された第20回「京都留学生音楽祭」(主催=民主音楽協会、(財)京都市音楽芸術文化振興財団、京都新聞社)に続き、門川大作京都市長が出席して行われた。
賞状では、創立者の平和・文化・教育の世界的な貢献を賞讃。さらに、留学生音楽祭が20周年を迎え、これまで世界66カ国・地域、約2300人が参加したことに言及し、「世界の相互理解と友情の深化を草の根の市民レベルで推進」「『国際文化都市京都』『大学のまち京都』『学生のまち京都』の発展に大いに寄与」と讃えている。
門川市長から、代理の小林民音代表理事に同賞が手渡され、西口民音名誉専務理事が謝辞を述べた。
また京都府から民音に感謝状が贈られた。
今回の音楽祭は、17カ国・地域102人の留学生が参加。京都から世界へ平和の調べを広げる祭典となった。
高槻市の奥本市長が贈った「国際文化交流貢献賞」の賞状の文章と、かなり共通点があります。
やはり、文面や賞の名前について、どこかから注文があったのでしょうか?
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このつながりが公然化されているにもかかわらずして、堂々と「高槻市長」として賞を贈るということに疑問を感じずには居られない。
まるで高槻市が自ら買って出て池田大作氏を絶賛しているように感じる。
上記の関連を嫌う高槻市民も多数(圧倒的)居ることを判っていないのだろうか?
奥本市長の判断は「選挙の見返り」としかいいようがない。
この手の問題について、正面切って出る議員は過去に居なかったが、やっと高槻市民の為に声を挙げてくれる議員が出てくれた。
政教分離なくして高槻市は良くならず。
奥本市長は何か勘違いしてる。
よくやった。これからも追及してくれ。
高槻市も権力に屈した結果だろう。
公明党と創価学会のタブーをよく記事にしましたね。
勇気ある活動に敬意を表します。
北岡議員のご活躍を祈念いたします。
選挙の見返り?何なのでしょうか?客観的に妥当な賞でしょうか?市民の代表として?本当に市民はこの賞について理解され賛同されているのでしょうか?