2010年04月28日

【池田大作贈賞訴訟】判決言渡しは8月18日

本日10時から池田大作贈賞訴訟の法廷があり、今回で弁論終結となりました。

判決言渡しはかなり先で、8月18日(水)13時10分。大阪地裁1007号法廷です。

高槻市が今回出してきた準備書面によると、過去、「感謝状」以外のタイトルで感謝状を贈呈したことはないとのこと。

20100428100623.jpg

高槻市はいろいろと言い訳をしていますが、「感謝状」というタイトルがつけられておらず、本文中にも「感謝状」の文字がなく、過去にも「感謝状」以外のタイトルで感謝状を贈呈したことはないというのであれば、それは誰がどう考えても感謝状ではありません。

どんな賞を出しても、「感謝状だ」という言い逃れが認められるなら、何のために表彰条例が存在するのか。条例が無意味になってしまいます。

裁判所の良識に期待します。


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posted by 北岡隆浩 at 23:54| 大阪 ☁| Comment(9) | TrackBack(0) | 高槻 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
賞状とは、なにか素晴らしい貢献をした人に贈るものだと思います。

それに、どういった賞状なのかをはっきりと明記する必要があると思います。

高槻市の苦しい立場は分りますが、はっきりと謝罪してほしい!!
Posted by 匿名希望 at 2010年04月30日 07:26
大多数の市民が必要と認めないこと、大多数の市民がとっても嫌がることはすべきでありません。これ一般常識。 市民感情より
Posted by 市民の嫌がること。 at 2010年04月30日 08:51
いくら選挙で世話なったからとしても創価学会に露骨な感謝状はアウトだろ。
高槻市はいつから創価学会の街になったのか?
市民は創価学会ばかりではないぞ。嫌いな市民も居るんだ。
Posted by まずいだろ at 2010年04月30日 16:14
市長は市民の代表という立場を自覚しなければいけません。
Posted by 市長教育 at 2010年04月30日 18:12
すいません。創価学会だけは堪忍です。
Posted by 市民 at 2010年04月30日 22:44
奥本務さん個人が贈るならともかく、「高槻市長」として賞を贈るということは、高槻市民の代表として贈賞するということ。
条例にもないことが一部の利権絡みでこの賞を贈呈するなんて大多数の市民は納得できないと思う。
Posted by 異様だ at 2010年05月01日 11:02
学会員の中では池田大作氏がノーベル賞をとれるかどうかが賞の話題。

人気の高くない高槻市長からの賞なんか、なんとも思うとらんやろ。本人にしてみれば、どうしても高槻市民が賞を贈りたいというなら名前ぐらいかしてあげましょう。本人はその程度の感覚やろ。
だから賞の贈呈に、受け取りにも来ない。

そらそうやろ。高槻市長ごとき賞にアホらしいて本人がわざわざ出向いて、奥本市長に頭下げて、「ありがとうございます。」なんて言うわけないだろ。

賞をどうしても贈りたいなら、団体名に贈るべきであった。

しかしそれでは本来の意図する狙い(高槻市創価学会への自らの選挙応援の礼)からはずれる。だから個人に固執したわけだ。
それは高槻市においては学会員の結束や学会員勧誘には、彼らの絶好の材料となるのだ。

これは市長の職権乱用といってもよい。

市長不適格なり。

Posted by 本人が受け取りにも来ない賞とは。 at 2010年05月01日 16:16
団体に贈るならまだしも、よりによって個人名あてに。おかしな市長。
Posted by H、K at 2010年05月01日 21:29
裁判官の良識というより、常識に期待したいです。高槻市の代表が特定の宗教団体に対して、高槻市民全員が感謝状なんて論外です。
Posted by 常識 at 2010年05月16日 09:38
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