本日10時から池田大作贈賞訴訟の法廷があり、今回で弁論終結となりました。
判決言渡しはかなり先で、8月18日(水)13時10分。大阪地裁1007号法廷です。
高槻市が今回出してきた準備書面によると、過去、「感謝状」以外のタイトルで感謝状を贈呈したことはないとのこと。
高槻市はいろいろと言い訳をしていますが、「感謝状」というタイトルがつけられておらず、本文中にも「感謝状」の文字がなく、過去にも「感謝状」以外のタイトルで感謝状を贈呈したことはないというのであれば、それは誰がどう考えても感謝状ではありません。
どんな賞を出しても、「感謝状だ」という言い逃れが認められるなら、何のために表彰条例が存在するのか。条例が無意味になってしまいます。
裁判所の良識に期待します。
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2010年04月28日
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それに、どういった賞状なのかをはっきりと明記する必要があると思います。
高槻市の苦しい立場は分りますが、はっきりと謝罪してほしい!!
高槻市はいつから創価学会の街になったのか?
市民は創価学会ばかりではないぞ。嫌いな市民も居るんだ。
条例にもないことが一部の利権絡みでこの賞を贈呈するなんて大多数の市民は納得できないと思う。
人気の高くない高槻市長からの賞なんか、なんとも思うとらんやろ。本人にしてみれば、どうしても高槻市民が賞を贈りたいというなら名前ぐらいかしてあげましょう。本人はその程度の感覚やろ。
だから賞の贈呈に、受け取りにも来ない。
そらそうやろ。高槻市長ごとき賞にアホらしいて本人がわざわざ出向いて、奥本市長に頭下げて、「ありがとうございます。」なんて言うわけないだろ。
賞をどうしても贈りたいなら、団体名に贈るべきであった。
しかしそれでは本来の意図する狙い(高槻市創価学会への自らの選挙応援の礼)からはずれる。だから個人に固執したわけだ。
それは高槻市においては学会員の結束や学会員勧誘には、彼らの絶好の材料となるのだ。
これは市長の職権乱用といってもよい。
市長不適格なり。