2006年06月15日

無宗教の国立戦没者施設など、要らない。

image/kitaoka-2006-06-15T23:17:00-1.jpg
また「無宗教の国立戦没者施設」なるものを建設しようという動きが。

産経新聞「無宗教の国立戦没者施設建設を提言 自公民有志議連」
http://www.sankei.co.jp/news/060615/sei101.htm


 自民、公明、民主3党の国会議員有志でつくる「国立追悼施設を考える会」(追悼施設議連、山崎拓会長)は15日の総会で、戦争による「死没者」を対象にした無宗教の国立追悼・平和祈念施設の建設を政府に求める中間報告をまとめた。

 中間報告で打ち出した国立追悼施設は、平成14年12月に福田康夫官房長官(当時)の私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」が提言した内容とほぼ同じ。中間報告は「国として戦没者の追悼を行う場合、海外とりわけ近隣諸国からどう受け取られるかも十分配慮する必要がある」と主張。政府に対し「施設の名称、内容、場所等を早急に調査すべきだ」として、19年度予算への調査費計上を求めた。

 また、靖国神社については「太平洋戦争」以前の戦没者遺族にとって「かけがえのない追悼施設」と位置付け、空襲などで亡くなった民間人や戦後、国のために殉じた人を祭っていないことや「限定された戦没者のみが祭られるのが基本なのに、戦死者でないA級戦犯が合祀(ごうし)されている」ことを問題点として列挙。首相らの公式参拝は憲法違反の疑いがあるとした。★


「無宗教」とは霊魂の存在も信ぜぬことではないか。それで「追悼」など、どうやってできるのだろうか。こうやって、素直な「宗教的情操」を奪われていくのは何故か。無実の人々を、いまだに「A級戦犯」と呼びつけにし、犯罪者扱いするのは、正義を失くしているからに他ならない。何故か。結局戦争に負けたからだ。

戦争・東京裁判によって力づくで正義を奪われたうえ、中国などに媚を売らんがために宗教的心情まで失ってしまったら、青少年の健全な育成とか、古きよき日本人らしさを取り戻すとか、そんなことは不可能だろう。


最近、宗教心もへったくれもないな、と思えるこんな事件があった。

読売新聞「『京の成田山』存続危機…競売で落札、強制執行開始」
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20060613p202.htm


取り壊しのため重機を運び込み、足場が組み始められた成田山慈尊院(13日、京都府宇治市で)

 交通安全祈願で知られ、400年以上の歴史を持つ京都府宇治市大久保町、成田山慈尊院の敷地と寺務所などの建物が、民事執行法に基づく京都地裁の競売で落札され、13日、地裁による強制執行手続きが行われた。これに対し寺側は存続を図るため、5月末に未登記だった建物を「本堂」として登記したが、宗教法人法では、礼拝施設がなくなれば法人としての活動が認められない可能性もあり、檀家(だんか)は「先祖の供養ができなくなる」と困惑している。

 寺は近鉄京都線大久保駅近くにあり、約5000平方メートルの敷地に寺務所や庫裏など7棟が建つ。江戸時代は淀藩主の保護を受け、1960年代から多くの参拝客を集めていたという。

 ところが、寺側が敷地や建物を担保に富山市内の金融業者から融資を受けたが返済できず、業者が2000年に京都地裁に競売を申し立て、今年1月、大阪府寝屋川市の不動産会社が敷地と建物を4億2000万円で落札。その後、不動産会社側は建物明け渡しを求めたが、寺側が応じなかったため、地裁に強制執行を申請していた。

 7棟のうち1棟(鉄筋2階建て、延べ約110平方メートル)が未登記だったことから、寺側は対抗策としてこの1棟を本堂として登記。住職は「不動産会社に地代を払い、本堂に使いたい」と話している。

 檀家は14戸あり、そのうちの男性(73)は「由緒あるお寺がこんな事態になってやりきれない。何とか残してほしい」と言う。

 京都府文教課は「寺の建物が強制執行の対象となるのは異常事態だ。早急に寺側から事情を聞き、今後の対応を決める」としている。★


寺を担保に入れてしまう住職にも呆れるが、強制執行をかけて伝統ある寺院を取り壊そうとする業者も「ばちあたり」にもほどがある。

国が「無宗教」を推奨するようなことになれば、こういったことが頻発するようになるのではないか。

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<追記>
トラックバックをいただいたspiralさんのブログ「新・へっぽこ時事放談」に、フィリピン・ルバング島から帰国した小野田寛郎氏の実感のこもった言葉がありましたので、転載させていただきます。

靖国神社の参拝について、今大きな問題になっている。戦争を知らない政治家があれこれイチャモンをつけるのは、まったく馬鹿らしいことだ。彼らに言いたい。貴様は目の前で友が殺されたことがあるのか銃弾が耳元を掠めていくときの戦慄がわかるのか、と。

『靖国で会おう』を合言葉に私たちは戦場に赴いた。靖国で英霊たちと会えると思うからこそ身を賭して戦ってきた。そして多くの命が散っていった。英霊たちとの約束を反古にするなんて許されるわけがない。日本人はそんなこともわからなくなってしまった。戦争に負けて良心さえも失ってしまったのか。
posted by 北岡隆浩 at 23:17| 大阪 ☔| Comment(1) | TrackBack(3) | 社会・政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宗教っていうのは、死んだ人のためで無く生きている人のためのものでしょう。追悼っていうのも所詮結局生きている人間の心の慰めであってある意味自己満足のための行為です。

過去の歴史、そして今の世界を見てると戦争なんて結局宗教に基づく世界観の対立が原因だと思えてきます。靖国神社に殉じた人達もそもそも当時の指導者のゆがんだ宗教心の犠牲になったようなものです。

たしかに信教の自由も無い中国に文句を言われる筋合いはないという反発感は分かりますが、

>靖国で会おう』を合言葉に私たちは戦場に赴い
>た。靖国で英霊たちと会えると思うからこそ
>身を賭して戦ってきた。

そんな世の中を再現したくない、と思うからこそ多くの国民が靖国神社に毎年首相が参拝することに戸惑いを感じているのは事実では無いでしょうか?

国立の追悼施設をつくっても靖国神社には今までどおりA級戦犯も祀られるわけでしょう。多くの若者を戦場に駆り立てた「宗教心」を尊ぶ国民は今までどおり靖国神社に参拝すれば良いでしょう。戦争に負けたにもかかわらず、戦争を先導した宗教が堂々と栄えている現在の日本は、政教分離があってこそだと思います。したがって国立の追悼施設を建設する必要があると思います。
Posted by TY at 2006年06月26日 05:21
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