2006年10月10日

彼岸花の歌

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「やっぱり世の中には、いい人もいるんだなあ」と最近ふと思うことが。これまでいろいろとお世話になった方もたくさんおられますが、そういう方々との出会いではなく、私の職場である老人ホームの入居者の方々と接しての感想です。

同じ「高齢者」という括りの中にいても、入居されている方の性格はいろいろです。その性格は、認知症を帯びてくると、その人本来のもの、生来のものに近づいていくのではないか。認知症になると、例えば生来暴力的な人は、その暴力的なものがより現れてくるとか。まあこれは私の仮説なので、実際はそうではないのかもしれませんが。

入居中のある認知症の方は、いつも「ごめんね、ごめんね、ありがとうね」と、感謝の言葉ばかり述べておられます。別の方は、いつも他人のことばかり気にかけている。こういう方達を見ると、大きな優しさを生まれながらに持っている人がいるのではないかと思うのです。

でも、そういう方の中には、身寄りもすべて亡くし、面会に来る人もほとんどいない方もおられます。「良いことをすればきっといつかは報われる」と言う人もいるけれど、家族も失い、何も報われぬまま、いずれ息を引き取る。そういう運命にある人がいるわけです。

最近、田んぼのあぜや川の土手に彼岸花をちらほらと見かけます。死人花、地獄花、幽霊花などの異名を持ち、日本では不吉だと忌み嫌われることもある彼岸花の花言葉は「悲しい思い出」だそうです。「悲しい思い出」を背負いながら「彼岸(死)」に近づきつつある方々を、私はどうしても彼岸花に重ねてしまうのです。



★彼岸花の歌(クリックすると音楽が流れます)

愛する人は みんな とうに亡くした
独りの時をずっと過ごしてここに行き着いた

何もかも ただ 受け入れて
「自分のせい」と 笑って言った

悲しみを知りすぎた 笑顔で


あなたは 時々 語ってくれた
幸せの日々 そして それを失(な)くした時

ありふれたことに 感謝して
他人(ひと)のことばかり 気にかけていた

自由さえ失った 身体(からだ)で


何もかも ただ 受け入れて
報われぬまま 瞳を閉じた

悲しみを知りすぎた 笑顔で

悲しみを知りすぎた 笑顔で


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posted by 北岡隆浩 at 23:03| 大阪 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 作詞・作曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この「彼岸花の歌」は北岡さんが作られたのですか?
人生の終末に立ち会いながら、そこにいるお年寄りの人生。決して多く語られるのではない人生に
思いを寄せておられる北岡さんに、深い優しさを
感じました。
今は誰かの介護を必要とし、自分の言葉で自分の思いを伝えられなくなったお年寄りの『心の声』に耳を傾けているお姿が目に浮かぶようでした。

人生の光と闇の中で生きる人間・・・
その全てが人生であると教えていただきました。
ありがとうございました。
Posted by ちーろぐ at 2006年10月11日 12:44
>ちーろぐさん

過分なお褒めの言葉をいただきありがとうございます。

この「彼岸花の歌」を作詞作曲したのは私です。曲は半年くらい前に出来ていて、詞のコンセプトも漠然と考えていたのですが、詞を完成させたのは、谷澤弁護士講演会の会場を押さえるために、10月4日に栗東市へ行ったときです。JR草津線の手原駅に、30分に1本しか電車が停まらないので、電車待ちの間に作りました(笑)。

入居者の方には驚かされることが多いですが、最近のサプライズは、もう90にもなる認知症のおじいちゃんが、やたらと将棋が強かったことです(笑)。
Posted by 北岡隆浩 at 2006年10月11日 21:52
感動しました。
死んだおばあちゃんを思い出して、マジ泣けたっす!
ありがとう。
Posted by 真野信 at 2006年10月27日 12:10
いい歌ですねー!悲しみ知りすぎた笑顔っていうフレーズが切ないよ。
Posted by サッチン at 2006年10月29日 17:27
彼岸花の歌を読んでて鼻の奥がつんときました。歌が聞けなかったのが残念です。ぜひ聞きたいと思いました。最近、酒のみのおっちゃん達が続けて急に亡くなりました。みんな一癖も二癖もある人だったけど私の大好きな人達です。おっちゃんが酔っ払うといつも歌う歌を思い出しました。
長々と失礼しました。
Posted by サラダ油 at 2008年11月22日 05:11
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