今日の高槻市議会の総務消防委員会での私の京大農場に関する質疑を傍聴された方は、高槻市と議会の実態をよくご理解いただけたかと思います。
今日の総務消防委員会では、京大農場を買取り、防災公園とするための議案が審議され、賛成多数で可決されてしまいました。もちろん私は反対をしました。
市役所側は、私の質問に対し「現在この係争中であり、北岡議員はその当事者だから答弁は控える」の一点張りでした。確かに係争中で、来月4月19日に判決が出るのですが、市役所側の態度は市民に対してまったく不誠実なものです。
その時のやりとりはだいたい以下のような感じです。
<質問>
濱田市長は、2月8日の史跡整備等特別委員会で、自分は先の市長選挙で防災公園の公約を掲げたから問題ない、というようなことをおっしゃられていました。確かに選挙公報を見ると、安心・安全のまちづくりの2項目目に、ちっちゃい字で、「学校校舎の耐震化工事推進、京大農場を防災公園として整備」と書かれています。この防災公園については、その選挙の時には、どういう防災公園を構想していたのでしょうか?また、その防災公園の必要性については、どういったデータに基づき、どういった検証をされていたのでしょうか?お答えください。
<答弁>
現在本件は係争中であり、北岡議員はその当事者だから答弁は控える。
<質問>
市職員の方が答弁したということは、その公約は、市職員の方が考えたんでしょうか?
<答弁>
現在本件は係争中であり、北岡議員はその当事者だから答弁は控える。
<質問>
防災公園の公約だけではなく、濱田市長のマニフェスト自体、市役所の方々が考えたのでは?
<答弁>
現在本件は係争中であり、北岡議員はその当事者だから答弁は控える。
<質問>
高槻市は、京大やURから、法的措置をちらつかされた、ほのめかされた、通告・通知された、ということは、あったのでしょうか?
<答弁>
現在本件は係争中であり、北岡議員はその当事者だから答弁は控える。
<質問>
4月25日の読売新聞の記事によると・・・
高槻市長選挙で初当選を決めた浜田さんは・・・今季で引退する奥本市長から花束を受け取り、「奥本市政の3期12年の実績が問われた選挙。認められて、本当にうれしい」と、笑顔で話した。・・・民主、自民、公明3党からの推薦のほか、共産党からの応援も受けた。
・・・とありますし、同じ日の朝日新聞には、
・・・浜田氏は現職の後押しを受けて立候補。「高槻は解体して粗悪な家に建て替える必要はない」と、現市政を引き継ぐ市政を強調。
・・・とあります。
濱田市長が奥本市長の後継者であることは、誰の目から見ても明らかですけれども、ご自身も、高槻市長選挙については、「自分の考えた公約が認められたんだー!」と言ったわけではなくて、「奥本市政の3期12年の実績が問われた選挙。」とおっしゃられてますし、「高槻は解体して粗悪な家に建て替える必要はない」と、現市政を引き継ぐ姿勢を強調されたということですから、選挙公約に関しても、これまでの高槻市政、奥本市政を引き継いだものであることは明らかです。
ということは、やはり、濱田市長の「防災公園」の公約についても、奥本市政の延長にあるものとして捉えなければなりません。
極めて簡潔にこれまでの経緯を振り返ると、
平成15年、奥本市長はスタジアム建設の公約を掲げ、約195億の経済効果を試算しながらも、京大農場に遺跡が埋まっていることから、事実上実現不可能と悟ったのか、トーンダウン。平成19年の市長選挙の際のビラには、「安満遺跡芝生公園の整備促進・・・遺跡公園化に向けた取組を引き続き進めます。」とだけ記載され、サッカースタジアムやガンバ大阪の文字は消えてしまいました。
けれども、公約破綻を認めたくないためか、頑なにスタジアム建設は行政案であるとし続け、公園整備については、「国補助含め、できるだけ本市に有利な事業手法を模索していきたい」とし、平成21年2月には、その手法として、国土交通省の「防災公園街区整備事業」の補助金の活用を言い出しました。防災上の必要性からではなく、単に国から補助金がほしかっただけだということは、議事録をお読みになれば分かると思います。そしてその年の9月には、京大・URとの間で、京大農場を買取り、URに工事をさせる旨の覚書を交わしてしまいました。
ところが、調査していた遺跡の範囲が判明すると、スタジアム建設は、「行政案」から「3つの行政案のうちの一つ」に格下げされてしまいました。遺跡の範囲からすれば、ガンバ大阪が計画するスタジアムは建てられないという指摘を私は議会でしましたが、冷静に見れば、誰がどう考えても、スタジアム建設は不可能だといわざるをえなかったはずです。
23年4月の高槻市長選挙の際、確かに濱田市長は、京大農場を防災公園にするとの公約を掲げましたが、これは、国の補助金を得るためだけに、「防災公園街区整備事業」を活用するという手法に沿ったものに過ぎないわけです。市民のために防災上の必要性から、ということではなかったわけです。
私は何回も言ってきましたけれども、防災上は、京大農場を防災公園にする必要性はないんですよ。農場というオープンスペースは、防災上有益であると、高槻市自身も認めているところです。
そもそもの目的であった、ガンバ大阪のスタジアム建設が不可能になったのですから、「防災公園街区整備事業」を活用して、京大農場を購入し防災公園にする必要はなくなったわけです。
しかし、濱田市長は、12月議会で撤回したこの案件を、3月議会に再び提案してきました。
「スタジアム建設」という魂を失った案件が、まさにゾンビのように生き返ったわけです。本当に、今、ゾンビと戦っているような気分で、気持ちが悪いですけれども、これまでの経緯を見れば、どう考えても、京大農場の買取りというのは、破綻した奥本前市長の公約の尻拭いとしか言えません。
この委員会のあとの総務消防協議会で説明されますけれども、今後4年間で、約83億円の支出増が見込まれているということです。高齢化が進んだりすることで、それだけ財政負担が増えるということです。財政的な余裕はないんじゃないんですか?財政的な観点からも、京大農場を買うべきではないと思いますが、高槻市の考えをお聞かせ下さい。
<答弁>
現在本件は係争中であり、北岡議員はその当事者だから答弁は控える。
<質問>
私以外の議員が、同じ質問をしたら答弁してくれるんでしょうか?
<答弁>
答弁は控える。
<北岡>
では、○○議員にこの質問を託したいと思います。
と言って、私はある議員に原稿を渡したのですが、その後、委員会が休憩となり、別室での話し合いに。他の委員達に、私はそれを認めてほしいと言ったのですが、多くの議員が認めず、結局、私の質問を代わりにしてもらうことはできませんでした。たくさん質問を用意していたのですが・・・
100億円を超える案件の審議なのに、係争中だから答弁を控えるというのは、議会を軽視していると思いますし、そんな市役所の姿勢を容認する議員側もおかしい。私は委員会再開後、両者に抗議をしました。
しかし、自分の公約について説明できない市長って、何なのでしょうか?やはり、何の考えもなく、誰かに言われるまま、京大農場を防災公園にと、選挙で訴えただけとしか考えられません。
↓人気ブログランキングに参加中!
クリックに感謝!
-
2012年03月16日
この記事へのトラックバック
北岡氏の質問は、市民からの質問である。
北岡市議の質問には、行政は答える義務がある。
当然のことだ。
北岡市議はこれまでに高槻市相手に多くの裁判を行ってきた。
その姿勢に多くの高槻市市民が賛同している。
昨年の高槻市議会選挙では、当選最低ラインの倍以上の高得票を得て、前回より大幅に得票を伸ばし高位当選をした議員である。
北岡氏の裁判実績は、多くの高槻市民にすでに高評価されている。
北岡氏は、一個人としての変わり者でもなければもちろん変人でもない。
その手法にはれっきとした理由がある。北岡氏も大変な負担のかかる裁判手法を好き好んでとっているわけではない。
しかし長年の腐った高槻市政には、今はこの手法しか効き目がないからだ。
多くの高槻市民はそのことをよく知っており感謝し応援している。
高槻市行政は、議会では、北岡氏個人に回答もとめられているのではないのだ。
北岡氏の質問は、市民からの質問なのである!
回答を控えるという逃げをするなら、裁判の攻防戦の中でやってくれ。
市民が選んだ議員の質問に対し、委員会、議会で、行政が答えないとはなにごとだ!
大阪市同様に、市職員が市役所を完全に私物化しているではないか。
高槻市行政も市役所も議会も本来市民のものだ。
市民の代表である議員の質問に高槻市行政が真摯に回答することは当たり前のことだ。
真面目にやってもらいたい。
昇るくらいに腹が立ちました。
私も市に対して、怒ってる最中の事件があり
今日も抗議をしているところでした。
私の抗議が先鋭的になるのも止むを得ませんね。