2006年11月25日

いつみても波瀾万丈な正岡子規

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今頃青年塾関西クラス10期生の皆さんは、京都・丹後で研修に励んでおられることと思います。丹後は、私達8期生にとっても、いろいろな意味で、思い入れの深い場所であります(笑)。

その丹後研修では、人物研究ということで、司馬遼太郎の書いた「坂の上の雲」の登場人物である秋山好古、秋山真之、正岡子規、乃木希典、ステッセルについて勉強しました。私のいた京都チームは、正岡子規について、パワーポイントと寸劇による発表を行いました。

発表の方法については、「知ってるつもり?」か「いつみても波瀾万丈」のパロディはどうだろう、というアイデアが出たので、以下のような台本を書いてみました。

おすぎとピーコの掛け合いの部分はつなぎとハクブンが、子規の絶筆三句はめぐちゃんが、パワーポイントは任ちゃんと常ちゃんが、衣装・小道具はかよねーとわかちゃんが担当。チーム全員の力で良い発表ができたと思います。特に子規役の任ちゃんの熱演が非常に好評でした。


いつみても波瀾万丈な正岡子規


この発表では、最初から最後まで、舞台上の芝居とリンクさせながら、パワーポイントで写真や図解等を表示する。

舞台中央には布団が敷かれ、いすが左右に3脚ずつ並べられている。
スクリーンに「いつみても波瀾万丈」のオープニング映像が映し出され、オープニングテーマが流れる。

司会の福留功男(ふくとめのりお)、コメンテーターのおすぎとピーコが登場。

福留「みなさん、こんにちは。いつみても波瀾万丈、司会の福留功男です。さて、おすぎさん、今日のゲストはすごい人ですよ」
おすぎ「えっ、ホント!?」
福留「普通なら、こんな番組には出てくれないくらいスゴイ人なんです」
ピーコ「誰よ?もったいつけてないで早く呼びなさいよ」
福留「では登場してもらいましょう。正岡子規さんです。どーぞ!」

正岡子規が、母の八重、妹の律に抱きかかえられ、ゆっくりと歩いて出てくる。明らかに体の具合が悪いことが歩き方から分かる。

おすぎ「きゃー、子規さーん、私、大ファンなの!」
福留「はしゃぎすぎだよ!子規さんの体に障ったらどうすんだよ、このオカマ!」
ピーコ「オカマじゃないって、ホモだって」

子規が咳き込み、掌に血を吐く。

子規「な、なんじゃ、こりゃー!」
福留「子規さん、大丈夫ですか?・・・オカマ―!お前らが騒ぐから・・・」
子規「だ、大丈夫ですら。子規だけに、死期が近い、なんちゃって」

「ヒュー」という風の音がする。

福留「(しばらく凍り付いている)・・・で、では、早速、子規さんの人生を振り返ってみましょう。ナレーションは、お母様の八重さん自らがやってくださいます」

「いつみても波瀾万丈」の再現VTRの映像と音楽。


■生い立ち〜生まれてから大学を中退するまで



大政奉還が行われた維新前夜の慶応3年、松山城下で、私ども正岡家の長男、升(のぼる)、後の正岡子規が生まれました。

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3年後の明治3年には、妹の律も誕生します。のぼは、小さい時分には、『よっぽどへぼへぼで弱味噌』でございました。6歳のときから、私の父、大原観山(かんざん)に漢学を習い、父の死後は土屋久明(きゅうめい)先生のもとに通います。

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松山中学入学後は、学友の方と回覧雑誌や新聞を作ったり、政治に関心をもって演説会で弁舌をふるったこともありました。

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16歳のとき、松山中学を退学し、私の弟の加藤恒忠(つねただ)を頼って上京。現在の開成高校の前身である共立(きょうりゅう)学校に入学します。

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さしたる勉強もせぬようでありましたが、東京大学予備門、後の第一高等学校に合格しました。

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この大学予備門には、同郷の秋山の淳さんや、夏目さん、それから南方熊楠(みなかたくまぐす)さんという人もいたそうです。

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入学当初、のぼは、哲学に関心をよせますが、米山保三郎(やすさぶろう)さんという哲学の天才児がいたために哲学の道を断念します。また、そのころ、ベースボールにも夢中になっていました。

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しかし、21歳のとき喀血。それをきっかけにホトトギスの句を作り、以後「子規」という号を使い始めます。

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22歳のとき、東京帝国大学文科大学哲学科に入学しますが、半年後に国文科に転科。25歳のとき、二度の落第を期に退学を決意します。


福留「八重さん、どうもありがとうございました。さて子規さん、子規さんはこの後、俳句の革新運動を行うわけですが、もともと俳句はお好きだったんですか?」
子規「18のときから俳句を作っとりましたけど、特に好きということもなかったですら」
福留「それは意外ですね。他にもっとお好きなものがあったんですか?」
子規「いろいろと好きなものはあったんですが、一番はこれですら」

子規、やおら立ち上がり、懐から野球のボールを取り出して高々と掲げる。

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子規「ベーーースボーーール!!!」
(♪「タッカー」サントラの1曲目の出だしだけ)

子規「これが最高なんですら。これでもあしは、東京大学予備門ではベースボールのチャンピオンだったんぞ。病気がなかったら、絶対イチローにも負けてないですら」
福留「へ〜、そうなんですか。だったら、私より、徳光さんのほうがよかったですね(笑)」

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■子規の友人達

福留「ところで、子規さんの『七変人評論』や『筆まかせ』、これを読むと実にたくさんの良いご友人がおられますね」
子規「そうなんですら!最高の友人ばかりなんですら」

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まず、あしの「畏友」夏目じゃが、英語の能力は抜群、しかも漢文にまで通じているのは千万年に一度の逸材じゃ!お互いに尊敬しながら好きな文学に没頭できたことがよかったんじゃろうの。病の床(とこ)にロンドンの様子など書いて寄こしてくれる手紙には、いつも大感激じゃ。ちなみに「漱石」という号は、最初あしがつかっていたものを夏目に譲ったんじゃ。

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次に「剛友」秋山の淳さんじゃが、みなよう知っとるようじゃから、割愛じゃ。

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「野菊の墓」を書いた伊藤左千夫もあしの門弟じゃ。あしより3つ年上じゃが、あしとの出会いによって歌人としての方向を示唆されたことが強烈な体験だったらしく、えらくあしを神聖視しとるぞ。

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そうそう、あしが日清戦争に従軍したとき、軍医だった森鴎外にも会ったんぞ。その縁で明治29年正月の句会に鴎外も参加したんじゃ。

PPでの説明が終わった後、子規が咳き込み、掌に血を吐く。

子規「すまんですけど、ちょっと床(とこ)で休ませてもらってもよいじゃろうか・・・」
福留「もちろん構いませんとも・・・さて、このスタジオに、実際に子規さんが使用されている布団を持ってきていただきました。これでございます。さ、子規さん、いつものようにこちらでお休みください」

子規、布団に入る。

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福留「また、このスタジオには、子規庵の庭と同じく、糸瓜をはじめ、

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鶏頭や芙蓉、夕顔などの草花も咲いており、まさに『病床六尺』が再現されております。・・・では、正岡子規さんのその後は、いったいどうなっていくのでしょうか?」

「いつみても波瀾万丈」の再現VTRの映像と音楽。


■記者時代から病床に伏すまで

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ナレーター「子規は、東京帝国大学を退学後、陸羯南の日本新聞社に入社。母と妹を東京に呼び寄せ、

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26歳のときに、現在も東京都台東区根岸にある「子規庵」に居を構えます。

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27歳のとき、日清戦争の従軍記者として旅順などを回りますが、帰国途上の船の中で喀血し、入院。

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退院後、松山で教師をしている夏目漱石の下宿で約2ヶ月間暮らします。

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その後、東京の子規庵に戻り、積極的に執筆活動や写生、句会、歌界を催しますが、

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28歳のときにカリエスと診断され、手術を受けてから次第に病状が悪化。

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痛みのため、絶叫・号泣を繰り返す毎日。最晩年には麻痺剤を常用するようになります。」

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PPでの説明が終わった後、子規が絶叫・号泣・悶絶し、のたうち回り出す。

福留「子規さん、子規さん、大丈夫ですか?・・・あの、お苦しみのところ大変申し訳ないんですが、番組的には、今何か俳句を作っていただきたいんですが、よろしいでしょうか」

子規、無言でうなずき、律に目配せをする。律は筆と画板を持ってくる。そして、下記の様子を再現する。

子規の門弟、河東碧梧桐の「君が絶筆」によれば、明治35年9月18日、朝から容体の思わしくなかった子規は、妹の律と碧梧桐に助けられながら、かろうじて筆を持つと、画板に貼った唐紙の先ず中央に「糸瓜咲て」と書きつける。

ここで碧梧桐が墨をついでやると「痰のつまりし」と書いた。

また墨をついでやると、「佛かな」と書き終え、投げるように筆を捨てながら続けざまに咳をするが、痰が切れずにいかにも苦しそうであった。

ようやく痰が切れると「痰一斗」の句を書き、また咳をする。

さらに間を置いて「をとゝひの」の句を少し斜めに書き、筆をやはり投げ捨てた。

筆は穂先のほうから白い寝床の上に落ちて、少しばかり墨のあとをつけた。

この間、子規は終始無言であった。


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福留「おーっと、三句も、三句も作ってくださいました!・・・あれ、子規さん?子規さん?・・・脈が・・・ない・・・あーまさにー、まさにー、波瀾万丈ーーー!!俳諧の革命児ーーー!!明治文学界の巨星ーーー!!絶筆三句を遺してーーー、いまーーー、ここにーーー、堕つーーーーーー!!!・・・しかーし、さすがは武家の女!息子、兄の死に際しても、こぶしを握ってぐっとこらえ、感情をあくまで表に出さない!冷たい人間のように見えるが、これが武家の女!まさに武家の女の鑑だー!・・・そして、子規さんのお顔は・・・カメラさん、こっちね・・・子規さんのお顔はーっ、病気の苦しみをそのまま写し出したように、苦悶の表情で固まっている!・・・僭越ながら、私、この胸ポケットの白いハンカチで、子規さんのお顔を覆わせていただきます・・・とりあえず、皆さん、合掌いたしましょう。南無〜・・・

・・・CMの後は、おすぎとピーコの『ぶっちゃけ本音トーク』のコーナーです(笑)。」

CM中


AD「はい、CM入りました!」

福留、さっきまでの態度とは打って変わって、冷淡に子規を見下ろしながら、タバコを吸い出す。

ピーコ「トメさん、これやばくない?」
おすぎ「そうよそうよ、視聴者から苦情が殺到するわよ」

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福留「うるさいなあ。他の局でもやってるじゃないか。地震や台風で、家や家族を失って、茫然自失としてる人間のところに押しかけて、心の傷もお構いなしにマイクを向けて、無理やりにコメントをとる。そうやってありのままの姿を映し出すのがテレビじゃねーか。それが今のテレビの『リアリズム』『写実主義』じゃねーのか。視聴者も、そういう悪趣味な写実主義を楽しんでるから、視聴率が高いんだよ。おめーらだって、視聴率が取れっからテレビに出てんだろうが。そうじゃなかったら、男か女か分からん気持ちの悪いグロテスクな顔の奴を、誰がテレビに出すんだよ」
おすぎ「そう言われたら、ぐーの音も出ないわね」
福留「分かったらとっとと席につけ、このホモ!」
ピーコ「ホモじゃないわよ、オカマよ!・・・あれ、どっちだっけ?」

CM中


八重、こらえきれずに子規の遺体に駆け寄る。

八重「のぼ、のぼ・・・」

福留「お母さん、カメラの邪魔です。どいてください」
八重「いやです。のぼ、のぼ・・・」
福留「いいからどけっつってんだよ!どけー!」

福留、八重を羽交い絞めにして外に連れ出す。

AD「それでは、CMが明けます。5秒前、4、3、2・・・」

ADが指で「2、1、Q」のサインを出すと、コーナーのオープニングテーマが流れる。(♪「タッカー」サントラの2曲目)

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おすぎ「おすぎと」
ピーコ 「ピーコの」
二人「ぶっちゃけ本音トーク!」

おすぎ「この人死んじゃったから言うけどさあ、私、この人より、松尾芭蕉のほうが偉いと思うのよね」

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ピーコ「うっそー、やっだー、あんたさっきまで『子規さん、子規さん』って言ってたじゃない。ぶっちゃけすぎよ!信じらんない!」
おすぎ「だって俳句といえば松雄芭蕉じゃない!俳諧の歴史における最初の偉大な作家なのよ〜。子規なんてそれを真似しただけじゃない!」

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ピーコ「芭蕉さんの真似なんかしてないわよ!子規さんは、芭蕉さんの俳句が、説明的で散文的な要素が多いって、批判してるのよ!」

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おすぎ「あんた知らないだろうけど、芭蕉には門弟が11人もいて、埋葬式には300人も来たのよ。」
ピーコ「数が多けりゃいいってわけじゃないのよ。 今の俳壇を制覇しているのは、子規が教えた高浜虚子の系統よ。」
おすぎ「あらちょっと悔しいわね。ならこれはどうかしら。芭蕉さんは『奥の細道』とかで、俳句つくるために、近畿から東北まで旅したのよ!」

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ピーコ「無教養なあんたには意外でしょうけど、子規さんだって旅をしてんのよ。範囲で言えば、芭蕉さんとは比べ物にならないくらい旅してるんだから。28歳の時には、従軍記者としてだけど、リャオトン半島にも行ってるのよ。国内だけじゃないの!病気なのに活動がグローバルで素敵だと思わない?」
おすぎ「従軍記者じゃ、俳句を詠んでないんじゃないの?それに旅行ばっかりしてるから、この通り早死にしちゃってるし(子規の死体を蹴る)

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おすぎ「子規より長生きした芭蕉の勝ちね!俳句の内容だって、人間存在の小ささと自然の力の偉大さを表現してるし。わび・さびがいい味出してるじゃない!」


柿くえば 鐘がなるなり 法隆寺

ピーコ「俳句の内容ならこっちも負けてないわよ。鮮明な印象を効率良く読者に伝えるためには、何がいいと思う?写実よ!写実!文学や美術においては、事物の簡潔描写がいいに決まってるじゃない!一般市民が俳句に親しみをもてるのも、(客席を指差す) こんにちの俳句があるのもすべて子規さんのお・か・げ。あーもう素敵すぎてしびれちゃう!

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ピーコ「芭蕉さんがさあ、『旅に病んで夢は枯野をかけ廻る』って辞世の句を詠ったのに対して、子規さんは、死ぬ間際まで庭のヘチマを写生したわけよ」
おすぎ「くやしー!」
律「違います!」
ピーコ「えっ!」
律「違います!兄の句は、そんな単純なものではありません」
ピーコ「だったらあんたが解釈してみなさいよ」

律「兄は、ただへちまを写生していたわけではありません!それに、テレビのワイドショーのような悪趣味な写実をしていたわけでもありません。

律、俳句を多面的に観客に捉えてもらうために、「写生(糸瓜の絵)」「人生(子規の顔)」「滑稽(鳥獣戯画)」「読者(律の顔)」の面がある立体を出し、まず「写生」の面を見せる。

律「兄は、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で書いているように、「俳句は読み上げられたときに決定的に情景がでてこねばなら」ない、と「写生」を追求してきました。しかし、この「写生」とは、単なる写しを言っているのではありません。そこに、人間存在の本質を見いだそうとしていたのです。

律、立体の「人生」の面を見せる

この絶筆三句で、兄は自分を糸瓜の姿に重ね合わせています。つまり、逆に人生や人間存在を表現したくて、自然の姿を写生し続けてきたのではないかとも、私には思えるのです。

律、立体の「滑稽」の面を見せる

また、兄は、糸瓜のような美しいくない、むしろダサイものを、季語としてよくもちいて、自分も含め、決して格好の良くない人間の姿をそれに重ねて滑稽を表現しました。しかし、その滑稽な人や物に対しても、愛情のある視線を注いでいたように思います。

律、立体の「写生」と「人生」の面を交互に見せる

この時代の糸瓜は「ぶらぶらとしていい加減なもの」と捉えられていましたが、兄はこのマイナスの意味では表現せず、ぶらぶらとゆれる糸瓜に、とらえどころのない時間を孤独に生きる人間の姿を置き換えたりしました。

律、立体の「読者」の面を見せる

さて、俳句というのは、読んだ人の数だけ、感動や解釈があると思います。例えば、長年にわたる兄の介護で疲れ果てた私には、兄の人生や滑稽を、悲しみの混じった複雑な感情でしか、今のところ理解できません。

律、立体を回しながら、すべての面を見せる

俳句にはこういった多くの側面があります。一つ俳句から、様々な感動や、いろいろな世界が見える。俳句は、兄の、死を賭けた仕事によって、このような多面体の結晶に生まれ変わったのです。俳句は、兄が「俳諧大要」の中で述べているように、文学であり、美術なのです。

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・糸瓜咲て 痰のつまりし 仏かな
・痰一斗 糸瓜の水も 間にあはず
・をととひの へちまの水も 取らざりき

この絶筆三句は、死を直前に、兄が、渾身の力を振り絞って詠ったものです。

一句目。「糸瓜咲きて 痰のつまりし 仏かな」では、きれいに咲く花と死んでいく自分の姿を比べて、そこに滑稽さを見ています。また、痰に効く糸瓜の前でそれを詰まらせて佛になろうとしている自分の孤独感をも表現しているともいえます。

そしてもうひとつ、実用性があることから多くの人々に使われる糸瓜が、花を咲かせたことに自分の人生を重ね合わせ、自分が社会に対して成し遂げてきたことを思い出し「良くやってきたものだ・・。」と振り返っています。

二句目はただ、糸瓜の水がほしいと言いたかったのではなく、死が迫っているために、まだまだやりたいことがあるに時間がない、間に合わないと言いたかったのです。

三句目は、「おととい」にポイントがあります。この「おととい」に当たる日は、満月でした。満月の夜にとった糸瓜の水は痰によく効くと言われております。しかし、その大事な一昨日の糸瓜の水を採らなかったことを悔やんでいるのではなく、採る気力さえなかったと詠ったのです。


福留が拍手をしながら登場する。

福留「すばらしい!さすが妹さんですね!」
律「・・・」(聞き取れないくらいの小さな声で何かをつぶやく)
福留「えっ、何ですか?」
律「・・・バカヤロー・・・」
福留「バ・カ・ヤ・ロ・ウ???」
律「バカヤローって言ってるんじゃー!あほー!ぼけー!あにさんを愚弄するなー!あにさんの死を、愚弄するなー!」


律、懐から取り出した小刀を振るって大暴れする。

福留「あぶねー」
ピーコ「キャー危ない」
おすぎ「危ない、危ない、行きましょうよ!もうっ!」

福留、ピーコ、おすぎ、去る。律、力尽きて膝をつく。

しばらくの沈黙。



子規の「仰臥漫録」には、

律は理詰めの女なり。同感同情のなき木石なり。義務的に病人を介抱することはすれども同情的に病人を慰むることなし。・・・律は強情なり。人間に向って冷淡なり。特に男に向ってshyなり。

・・・と、ある。

しかし、律の二度目の離婚は、兄の看病をするためであった。











子規が、顔の布を取り去って、むくりと起き上がる。

子規「・・・律、お前、やっと、自分の感情を、表したのう。お前、やっと本音が、言えたのう。お前はいつも我慢のし過ぎじゃ。これからはの、おなごでも、素直に自分の思いを表に出さにゃ、いけんぞ。な。世界にある、すべてのものを、自分の心に素直に写して、そして素直に感動しろよ。ほいで、それを表してみろよ」
律「・・・あにさん」
子規「お前、本当は、秋山の淳さんのことが好きじゃったんじゃろ。もう、あしという足かせがなくなったんじゃ、これからは自由に生きろよ。自分の心に素直にな」
律「あにさん!」
子規「あしは、もう行くよ。・・・そして、これじゃ!ベーーースボーーール!!!」


子規、立ち上がり、野球のボールを懐から取り出し高々と掲げる。♪「タッカー」サントラの1曲目

舞台の奥に、上り坂と、そして坂の上に、天国を象徴するような雲が現れる。

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子規「死んだら、病気なんて関係ないぞな。ははは。体が軽い軽い!よーし、やるぜ!思いっきりベースボールを!こっちの世でもベースボールを広めてやるんじゃ」

子規、上り坂をゆっくりと登り始め、雲に呼びかける。

子規「おーーーい、ベーーースボーーールをやらんかー?・・・知らんー?・・・じゃあ、あしが教えてやるけーの。待っちょれよー!」

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子規が雲の中に消えていく・・・病床を残して。

(おしまい)

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posted by 北岡隆浩 at 07:20| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 青年塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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