「無理が通れば道理が引っ込む」という諺がありますが、京都大学の農場の問題は、まさにその典型です。
昨年の高槻市長選挙において、当選した濱田市長は「高槻は解体して粗悪な家に建て替える必要はない」と、現市政を引き継ぐ姿勢を強調したとされています。高槻市バスの売上金窃盗事件や生活保護費詐取事件等からすれば、奥本市長時代の高槻市役所のほうが、金庫に鍵もかけていない、泥棒もたくさんいる「粗悪な家」のような気がしますが・・・濱田市長が、奥本市政の後継者であることは、この濱田市長の言葉からも明白です。
その濱田市長は、選挙公報に「京大農場を防災公園として整備」と記載していました。18日の史跡整備等特別委員会で、私は、この公約について、濱田市長は、選挙時、具体的にどのような防災公園を思い描いていたのか、具体的にどんな防災公園にすると有権者に訴えていたのか、と尋ねましたが、濱田市長はまったく答えませんでした。
まあ、選挙公約自体、濱田市長が考えたのではなく、市職員か誰か別の人が全部考えて、濱田市長はその振り付け通りに、有権者の前で語ったのだと思いますが。防災公園というのも、国から補助金をもらう手段として、高槻市役所が見つけてきただけのもので、特に防災上必要なものではありません。
選挙時、京大農場をどうするかについて、高槻市役所には、具体的な案としては、サッカースタジアムの建設しかありませんでした。現に当時、ガンバ大阪との間でかなり話が進んでいるとも報道されました。密約がされたというようなことも議会で議長経験者から暴露もされました。
ということは、奥本市政を引き継いだ濱田市長が選挙公約に掲げた「京大農場を防災公園として整備」というのは、サッカースタジアムの建設であるとしか考えられないわけです。「奥本市長の後継者の濱田市長なら、サッカースタジアムを造ってくれる」と期待して投票された方も多いのではないのでしょうか。
平成15年4月、当時の奥本市長はサッカースタジアム建設・ガンバ大阪誘致の公約を大々的に掲げて当選。その目玉公約が、当選の大きな要因になったと、奥本前市長自身も語っています。そして、その公約が、京大農場を買い取る原因になったわけです。
ところがこの公約は、京大農場には遺跡が埋まっていて、スタジアム建設は困難だと選挙時から指摘されていましたし、後年判明した遺跡の範囲からすればガンバ計画するスタジアムが建てられないということも分かりましたので、詐欺的なものだったわけですけれども。
けれども、濱田市長になってから約半年後、ガンバ大阪が吹田市にサッカースタジアムの建設を決定。つまり奥本前市長の公約=濱田市長の公約が、その時点で破綻したということです。
公約が破綻したのですから、京大農場を買い取る必要はなくなったはず。しかし、濱田市長は、公約の破綻をうやむやにしたまま、京大農場の購入を決定。与野党相乗りの議会も、関連議案を賛成多数で可決してしまいました。
これは筋として間違っています。濱田市長が市政を受け継いだ奥本前市長の当選の大きな要因となり、また、京大農場取得の原因となった公約が破綻したのですから、それでも濱田市長がどうしても京大農場を買いたいというのなら、市長を辞職して、出直し市長選挙で民意を問うべきです。
市民に何の説明もせず、ごまかしたまま、何を造るか分からないけど、土地だけ先に買うので、市民の皆さんも何を造ったらいいか意見をくださいというのは、無駄な土地を市民に押し売るに等しい行為です。
委員会で私は、各党もスタジアム建設や防災公園について、かつては疑問の声等を挙げていたことを言いましたが、結局、議会の多数派は、京大農場の買い取りに賛成してしまいました。道理を引っ込めて与野党が相乗りし、圧倒的多数が市長与党になって無理を通す現状は、本当に市民にとっては弊害です。
京大農場の取得には100億円以上の税金が投じられるのに、市民の皆さんがこうした事実を知らない。皆さんが選んだ市長や議員がこのようなことをしているのに、そのことを知らないというのは本当に残念です。
議員の中には「決まってしまった以上、あきらめなければなりません。」と言っておられる方もいますが、京大農場取得に関する具体的な契約はまだですし、国の補助金も交付されていないようですので、まだ止める余地はなくはありません。私は最後まで諦めません。
以下は今月18日の史跡整備等特別委員会の私の質問のうち、上記に関係する概要です。メモと記憶に基づいていますので、間違っている個所もあるかもしれませんが、ご了承ください。
【質問】資料の1ページ目に「主な経過等」として、平成21年から現在まで、わずかに5つの出来事しか記載されていませんが、いろいろと重要なことが抜け落ちています。平成21年は、奥本市長が在職中でした。現在は濱田市長となっています。平成23年4月に高槻市長選挙があったわけですね。濱田市長は、その市長選の時の選挙公報に「学校校舎の耐震化工事推進、京大農場を防災公園として整備」と記載されています。今年2月8日の史跡整備等特別委員会でも、選挙で防災公園を設置するという公約を掲げて市長に就任したと答弁されていました。この市長選挙の時に、濱田市長は、具体的にどのような防災公園を思い描かれていたのでしょうか?選挙の時には、具体的にどんな防災公園にすると有権者に訴えておられたのでしょうか?濱田市長、お答えください。
職員:この場は史跡整備等特別委員会なので、選挙の時のことを議論する場ではないから答弁しない。
【質問】前回の委員会で濱田市長自らが選挙公約に関する答弁をした。選挙で公約したからいいんだというような答弁だった。公約のことをこの場でしっかり明らかにしてください。選挙の時にはどういう構想を思い描いていたのか、具体的にお答えください。
職員:京大農場は、貴重な空間なので、防災機能を備え、史跡を活用した、緑豊かな公園にしたい。
【質問】市長はこの場にいるのに、何故公約について説明できないのか。傍聴している市民の方に何故説明できないのか。職員ではなく、濱田市長が自ら答えるべきです。市長、お答えください。
職員:選挙の話ではなく、行政として公園整備を進めている。委員会では提案させていただいているもので審議していただきたい。
【質問】何度訊いても濱田市長は答えない。濱田市長の公約は、濱田市長ご自身が考えて作ったものではなく、高槻市の職員の方々などが作って、濱田市長はその振り付けどおりにしただけだなという感じがします。
以前も紹介しましたが、平成23年4月25日の読売新聞の朝刊には、「高槻市長に濱田さん初当選」の見出しで、民主、自民、公明3党からの推薦のほか共産党からも応援を受けた濱田市長が高槻市長選挙で初当選。今期で引退する奥本務市長から花束を受け取り、「奥本市政の3期12年の実績が問われた選挙、認められて本当にうれしいと笑顔で話した」と書かれています。同じ日の朝日新聞には、濱田市長が「高槻は解体して粗悪な家に建て替える必要はない」と、現市政を引き継ぐ姿勢を強調したとされています。高槻市バスの売上金窃盗事件や生活保護費詐取事件等からすれば、奥本市長時代の高槻市役所のほうが、金庫に鍵もかけていない、泥棒もたくさんいる粗悪な家のような気がしますが、与野党相乗りで支援を受けた濱田市長が、奥本市政の実績を問い、かつ、奥本市政を引き継ぐ姿勢でもって、打って出た選挙で当選したということです。そうすると、濱田市長の選挙公約は、奥本市政の延長線上にあるものだとしか考えられないわけです。市長選当時、京大農場に関して、市としては行政案としていくつか考えているようでしたけれども、具体的な行政案は、サッカースタジアムしかありませんでした。
ということは、濱田市長の公約に関しても、サッカースタジアムを含む防災公園を建設するという構想だったということになるのではないのでしょうか?濱田市長、お答えください。
職員:京大農場跡地を緑豊かな公園にすべく、今年度から整備構想の検討をスタートさせる。それを委員会で審議していただき、市民の皆さんにもご意見いただきたい。
【質問】サッカースタジアムのことは何も答えられませんでしたが、濱田市長が奥本市政を継承しているこということは、誰の目から見ても明らかです。奥本市長は、平成15年4月の市長選挙の際にサッカースタジアムを建設し、ガンバ大阪を誘致するという目玉公約を掲げて当選されました。当選直後に選挙事務所でテレビのインタビューに、その公約に対する市民の反応が高かったと語っていました。つまりその公約が、当選の大きな要因になったと考えられるわけです。これは朝日放送でも取り上げられました。
しかし、当時からこの公約の実現性は疑問視されておりまして、例えば、平成15年9月に、公明党の竹本ひさお大阪府議会議員が・・・府議になる前は高槻市議をされた方ですが・・・、大阪府議会の教育文化常任委員会で、この公約の実現性について質問したところ、府は「遺跡があるので建設は難しい」と答弁しました。府も奥本前市長の公約の実現は困難だという見解を示していたわけです。
当時、京大農場のどこに遺跡が埋まっているのか分からなかった。分からなかったのに、巨大なスタジアムを建設するという、非常にいい加減な公約を奥本前市長は掲げていたということです。濱田市長は市長に当選後、「高槻は解体して粗悪な家に建て替える必要はない」と、相手候補の公約を批判するようなことを言っていますが、京大農場の取得の原因である奥本前市長の公約のほうが滅茶苦茶だったわけです。
それでも奥本前市長は、施政方針演説のたびに実現させるというようなことをおっしゃり続けた。そして、京大に対しては、公約への理解を求めて、農場を購入したいと申し入れをした。そして、資料にあるとおり、平成21年9月28日に「京都大学大学院農学研究科附属農場の移転等に係る覚書」を締結しました。
そういう流れの中で、サッカースタジアムの建設は、行政案として存在し続けていて、そして濱田市長になってからも、唯一具体的な行政案であったわけです。
濱田市長が高槻市の市長になれば、サッカースタジアムを建設してくれると、そう信じて濱田市長に投票した有権者もいたんじゃないでしょうか。現に、スタジアムを建設してほしいと、7万人くらいの署名が集まりました。
ところが、平成23年10月に、ガンバ大阪は、吹田市にサッカースタジアムを建設することを決定した。つまり、その時点で、サッカースタジアムの公約は破綻したということです。
京大農場の購入は、サッカースタジアムありきだったわけです。このことについては、平成23年の9月議会で、民主党の中浜議長をはじめ、他の議員の方もおっしゃられていたかと思います。
サッカースタジアムの公約が破綻したのだから、京大農場の取得自体を白紙にすべきではないのでしょうか。濱田市長が市政を受け継いだ奥本前市長の市長選の目玉公約であり、その目玉公約が当選の大きな要因にもなり、また京大農場購入決定の原因となったわけですから、その公約が破綻したのであれば、京大農場は買わない、取得しないというのが筋ではないのでしょうか。なぜ白紙にしないのか、お答えください。
職員:スタジアムありきというが、それは単に行政案の一つだった。もともと昭和の緑の基本計画のときから、京大が移転をするようなことがあれば、公園にしたいという計画をもっていた。その流れで公園化を図るのだ。
【質問】スタジアムありきということは、昨年の9月議会で中浜議長や他の議員も言っていたし、経緯をたどると京大農場う購入の原因はスタジアムの公約であったわけです。緑の基本計画についてもおっしゃられていましたけれども、京大が移転されるのであれば、という消極的な記載であったとご答弁から察せられます。売ってくれということではなったわけですね。やはりスタジアムの公約が京大農場取得の原因と考えられるわけです。どうしても京大農場を買って、何か造りたいのだというのであれば、濱田市長は、もう一度選挙で問うべきではないでしょうか?
何を建てるのか、何を造るのか決まっていないけれども、土地だけ先に買いますというのは、公約云々以前に、まったくやり方がおかしいわけですけれども、どうしても100億以上も税金を使って買いたいんだということであれば、市長を辞職して、選挙で市民に問うてみるべきだと思います。市長を辞職して、京大農場取得を争点に、市長選をやるというお考えは濱田市長にはないのでしょうか?お答えください。
職員:最初の質問でも答えたが、公園の整備に関して、これから整備構想の検討を含め、市民の意見も聞いて進めていきたい。この公園を良いものにするために議論を頂戴したい。
【質問】市民の皆さんにとっては、全然訳が分からないと思いますよ。これから整備構想を検討していくということですが、サッカースタジアムの話がなくなったのだから、京大農場を買う必要はないじゃないかと、普通なら考えると思います。史跡指定された範囲は買ってあげてもいいかもしれないけれども、それ以外の部分はなぜ買わないといけないのか。史跡指定された範囲についても、農学部が農場として使用する分には、遺跡・遺構を傷めないわけですから、そのまま農場の状態で使ってもらってもいいわけです。
防災公園にするというのも、欺瞞に満ちた話で、そもそも、なぜ防災公園にすると言い出したかというと、平成21年2月16日の史跡整備等特別委員会とそれ以前の委員会の議事録を見ていただければ明らかですが、平成21年2月16日に初めて「防災公園街区整備事業」の説明をして、国の補助金を活用すると言い出した。つまり、国から補助金がほしいから防災公園にすると言い出したわけです。それまでは防災公園にするなんてことはまったく言っていなかった。私は高槻市にはどれだけ防災公園が必要なんですかと質問したりしましたけど、高槻市としては考えていない、これから考えるというような答弁でした。つまり、市民の安全のために、防災上の必要性から、京大農場を取得するのではなく、防災公園というのは、土地代や、その当時であればスタジアムの建設費用を賄うための、国の金目当てだったというわけです。
これも以前言いましたが、農地は、燃えるものがほとんど無いので、住民が災害時に逃げ込めるオープンスペースだということで、防災上有益だとされています。高槻市も大阪府も、農地には防災機能があると言っています。京大農場は、広大な農地ですから、そのままで、防災上有益だといわざるをえません。
平成21年5月14日の史跡整備等特別委員会での日本共産党の宮本議員の発言・・・現在、当委員会の委員長をされていますけれども・・・宮本委員長の発言ですが、「駅前の貴重なまとまった空間、都市防災の観点からといって、目と鼻の先にある関大のグラウンドを買収しました。また、同じ事業手法の防災公園街区整備事業で、古曽部中央公園(今の古曽部防災公園)を整備しています。防災と言うなら、今回の安満遺跡公園を入れると、関大を中心に半径500メートル以内に3つも防災機能を持ったものがあることになります。・・・防災と名がつけば、どんどん推進をすればよいというものではないというふうに思います。 ・・・公園としての機能の中には、防災という名がついていなくても防災上の役割は含まれているものです。」とおっしゃられています。私もそのとおりだと思います。史跡指定された部分だけでも、仮に公園にすれば、約12.8ヘクタールもあるわけですから、防災上の役割はかなり果たせると思いますし、高槻市内には他に広域避難地等が各所にありまして、高槻市の人口の倍くらい収容できるとされています。
それでも、京大農場を防災公園にする必要があるのでしょうか?京大農場を防災公園にする必要性の根拠について、明確にご答弁下さい。
職員:これまで関連議案をご議決いただいた。(だから説明する必要はないといわんばかり)
【質問】市民の方が傍聴されているのに、防災公園にする根拠をまったく答えられない。宮本委員長も半径500m以内に他にも防災公園もあるし、関西大学のグラウンドもある、なぜ必要なのかと。誰だってそう思いますよね。URに工事させることについても、議員のどなたかが問題にしていた。以前も市は防災公園の必要性についておかしな資料を出してきた。防災公園が必要な理由というのは、どう考えても後付けなんですよね。先ほども言いましたが、結局、防災公園にするというのは国のお金が目当てなわけです。それは過去の議事録を読めば明らかです。
サッカースタジアムの話もなくなった今、国からお金がもらえるからといって、土地を買ったり、何か箱物を造ったりする必要があるんでしょうか?市としては、支出がちょっとでも減ればいいのかもしれないですけれども、市民は国民でもあるわけです。国の支出が増えれば、しかも無駄な防災公園に多額の税金が使われるのだとすれば、何すんねん、という話ですよね。
国は財政が厳しいということで、消費税を増税しようとしているじゃないですか。衆議院では、消費税増税法案が可決されました。我々は、国民という立場で、国の財政的な負担の軽減も考えなければならないのではないでしょうか?
公明党は、防災ニューディールということを言っていて、先日は意見書も高槻市議会として可決しましたが、いくら防災だと言っても、無駄なところに大切な税金を使ってしまったら、本当に必要なところには回らなくなるかもしれない。
全国的に見れば、防災対策を施さないといけない地域はまだまだ沢山あります。一方で、高槻市には先ほども言いましたが、古曽部防災公園もあれば、関西大学ミューズキャンパスもある。広域避難地・準広域避難地も充分にある。
サッカースタジアムの公約は破綻したのだから、防災公園を造るのはやめて、国の補助金は辞退して、東北の被災地や、先日大雨で被害を受けた九州のために使ってもらう。被災地のために募金をしましょうということで、高槻市役所でも募金箱を置いて、募金を呼びかけていましたよね。その一方で、必要のない防災公園を、国費を使って造るというのは、矛盾していると思うんですよ。国費の無駄遣いはやめて、他の困っている地域のために使ってもらうほうがよいと私は思います。
(中略)
【意見】これまでの経緯からすれば、京大農場の取得は、破綻した奥本前市長の詐欺的な公約の尻拭いであることは明らかです。市民にしっかりと説明せずに、ごまかしながら、うやむやのまま話を進めて、ついには与野党相乗りの市長が京大農場の購入を決定する。奥本市長のやり方もおかしかったけれども、それを引き継いだ濱田市長のやり方もおかしい。私は京都大学に残ってもらうのが一番だと思いますが、濱田市長が、どうしても京大農場を買って、何か箱物を作りたいのであれば、先ほども申し上げました通り、辞職して、具体的に何を造るのか、濱田市長自らが考えていただいて、それを公約にして、もう一度選挙で民意を問うべきだと思います。それが筋です。本当に滅茶苦茶な話だと思います。
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防災には特段効果はないと思われる。
100億円あれば高槻市民のために他に相当な有意義な使い方ができるはずである。
まちの具体的な有効防災とはなにか?
たとえば、
今は大きくは大地震防災、大飯原発事故想定の放射線防災だと思います。
高槻市だって10箇所ぐらい近隣他市にさきがけて放射能測定器を設置したっていい。
予算なんかしれている。今なら話題性にもなり、一石二鳥だ。高槻市の認知度は全国的に急上昇するだろう。放射能に対する西日本の先駆的なまちの取り組みとなるに違いない。
また高槻市の各所1000箇所ぐらいに簡単な海抜表示板設置も、市民の防災意識を高めることになる。予算はしれている。
また高槻市民に100円程度で販売か配布をすればいいと思う、高槻市を10箇所ぐらいに区割りした、色違いの腕章をづくり。
腕章には町名が記入してある。裏をめくると氏名、血液型、なども書けるようにしておく。
大パニックになった時、人の動き、情報整理、救護に役立つと思います。
災害で水道が止まると、たちまちトイレがたちまち困る。
下水道マンホールを利用した簡易トイレ、移動式簡易トイレなど女性の観点からも、具体的なシュミレーションをし対策を講じておくといいと思います。
他にもアイデアいろいろあるでしょう。
防災費が捻出できるなら生きた使い方をしてほしいものです。
サッカースタジアム構想は奥本氏が自らの選挙の際、サッカー人気にあやかりぶちあげた選挙目当てにすぎない無責任な発言だった。
その流れを踏襲する、濱田市長。市長就任時、市役所組織を粗悪な建物にする必要はないと、あたかも今が立派な建物のごとく発言されていた。
言葉は言いようがあるものだと呆れていたが、濱田市長就任後、その建物は、立派どころか《泥棒の館》だったことが実証された。その泥棒の館の頭領が今は濱田市長の最も近くにいる副市長、山本氏だ。
長期にわたり《泥棒の館》と化していた高槻市、吉田康人氏が市役所改革を切実に訴えていた市長選の時の姿がよみがえった。
彼の着眼点の正しさが実証された。