6月議会の一般質問では、富田地区についても質問。
高槻市で唯一の国指定の重要文化財の建造物があり、高槻市で唯一の国指定の名勝の庭園がある場所。それが富田の普門寺です。
普門寺の敷地は、市の条例で、樹林保護地区にも指定されています。
戦国時代には、室町幕府の管領・細川晴元や14代将軍・足利義栄が滞在し、普門寺城とも呼ばれていました。
ところが、隣接する市有地にはゴミが散乱。
お寺の方によると、普門寺の南隣に市営住宅が造成されてから、水はけが悪くなり、大雨の度に水浸しになって、掃除が大変だということでした。
この南隣の市営住宅や公園、西隣の富田ふれあい文化センターと富田青少年交流センター等について、高槻市は、今後、新たな公共施設・複合施設に建て直すとしています。
私は最後に以下の意見を述べました。
先ほど申し上げたとおり、普門寺の方丈は、建造物としては、高槻市で唯一の国指定の重要文化財で、普門寺の庭園も、高槻市で唯一の国指定の名勝です。普門寺の敷地は、市の条例で、樹林保護地区にも指定されています。
可能かどうかわかりませんが、この方丈で、庭園を見ながら、将棋なんか指したら、非常に絵になるんじゃないでしょうか?大阪万博が始まれば、国指定の重要文化財や名勝があるのなら、と、国内外から富田地区へ訪れる方も増えるかもしれません。
その普門寺へ、参拝者・観光客が行こうとすると、最寄り駅の阪急富田駅からだと、富田地区のメインストリートの1つである、府道鳥飼八丁富田線を通ることが多いかと思います。この大通りを駅から南へ歩くと、高槻市景観賞に入選した寿酒造さんなどの比較的古い木造の建物だけではなく、新しい建物も、自主的に「富田まちなみ環境整備事業」にご協力いただいているのか、白と黒の外壁のものが多くて、統一感のある街並みが出来つつあるのを感じます。
しかし、普門寺は、残念ながら、富田ふれあい文化センターや富田青少年交流センターなどに隠されたような形になっていて、大通りからはほぼ見えません。
ふれあい文化センター等の跡地には、複合施設を建てるということですが、大きな建物を造って、普門寺を、再び、隠すことになるのだとしたら、非常にもったいないと思います。また、せっかく、統一感のある街並みが形成されつつあるのに、鉄筋コンクリートの大きな建物を建てるのは、市のこれまでの富田のまちづくりの姿勢とも矛盾するのではないでしょうか?
普門寺の庭園は、阿武山を借景としていますが、ふれあい文化センター等の跡地には、複合施設ではなく、普門寺や三輪神社の緑などを借景とした公園を造って、複合施設は、駅に近い別の公有地に建ててはどうでしょうか。
先日、普門寺を訪れると、欧米から来た観光客の方がおられました。旅行客は、天候を選べませんので、名勝の庭園が水浸しだと、残念な思いをされるはずです。こういった状況に関して、市は、明確に把握していないということですが、周囲を再整備する際には、ぜひ、水はけの悪さや照り返しの原因について調査をして、可能なら改善してください。
また、跡地には、「てんしば」のような公園もつくりたいといったお話も、以前、職員の方からうかがいました。遠方からの利用者や観光客、インバウンドを見込むのであれば、大型のバスも停められるような駐車場も必要かと思います。ご検討ください。
遺構・埋蔵文化財の調査は、普門寺の東側の土地だけではなく、西側・南側・北側の土地についても、しっかりと行ってください。
それから、普門寺に隣接する市有地のゴミとか、雑然と置かれたものとか、雑草等は、観光上マイナスなので、すぐに撤去して、掃除してください。
以下は先日の議会でのやり取りです。原稿とメモに基づいているので不正確な部分もあることをお許しください。
★一般質問
■4.富田地区等について
<1回目>
(1)富田に、普門寺という禅宗のお寺があります。室町幕府の14代将軍・足利義栄や管領・細川晴元が居城としていたことでも知られていますが、普門寺の方丈は、建造物としては、高槻市で唯一の国指定の重要文化財で、普門寺の庭園も、高槻市で唯一の国指定の名勝です。阿武山を借景とした枯山水の庭園だけではなく、隠元禅師が作ったとされる石畳や、普門寺城の遺構とみられる土塁等、境内の大半のものが、庭園の景観に関わるものとして、名勝の範囲に含まれています。
この庭園が、お寺の方によると、普門寺の南隣に、市営住宅が造成されてから、水はけが悪くなり、大雨の度に水浸しになって、掃除が大変だということでした。
また、市営住宅からの照り返しのために、方丈の杮葺きの屋根が傷んで、普通なら25年に一度の葺き替えで済むのに、20年に一度は葺き替えなければならないということです。
こうしたことについて、市はどのように対処されてきたのでしょうか?根本的な解決をするためには、どうすればいいのでしょうか?お答えください。
⇒ご質問の状況を明確に把握しているわけではありませんが、一般的に市営住宅建設の影響により生じるものとは考えていません。
(2)普門寺の門のそばには、旧富田小学校の門柱があって、高槻市教育委員会が設置した「高槻 まちかど遺産」の標柱には、「明治37年、普門寺旧境内の当地」に旧富田小学校の木造校舎が建てられたと書かれています。旧富田小学校の跡地は、現在、市営住宅や公園になっているようですが、そもそもは、普門寺の土地だったと考えられます。この土地が、高槻市の土地になった経緯は、どういったものなのでしょうか?どのようにして、所有権を、高槻市が取得したのでしょうか?お答えください。
⇒普門寺の土地が高槻市の土地になった経緯ですが、明治37年5月10日売買を原因として三島郡富田村に所有権移転され、合併により承継しているものです。
(3)普門寺の東側の隣接地で、遺構が見つかったようですが、どの時代の、何の遺構なのでしょうか?お答えください。
⇒普門寺東側の隣接地については、現在、発掘調査中です。
(4)普門寺は、足利義栄や細川晴元がいた当時は、普門寺城と呼ばれていて、この普門寺城の規模は、ウィキペディアによると、「三輪神社、本照寺、高槻市立富田小学校も城郭の一部だったようで、最盛期には約3万uもあった」とされています。普門寺城の敷地は、最盛期には、どれくらいの範囲だったのでしょうか?富田ふれあい文化センターや富田青少年交流センターも含まれていたのでしょうか?お答えください。
⇒普門寺には、室町幕府の管領細川晴元や14代将軍の足利義栄が滞在しましたが、当時の文献史料に「普門寺城」という記載はなく、その範囲についても不明です。
(5)富田支所の庁舎の前には広場がありますが、使用頻度は年にどれだけなのでしょうか?お答えください。
⇒広場につきましては、富田町財産区の管理団体である富田土地改良区が管理しているため、市では使用頻度について把握しておりません。
<2回目>
(1)普門寺の南側は市営住宅の駐車場などと隣接しているんですが、お送りした写真のとおり、ゴミなどが散乱し、雑草も生えていて、結構汚らしく、雑然とした状況です。高槻市で唯一の国指定の名勝なのに、高槻市が管理する隣接地が、こういった状態では、雰囲気が台無しです。観光政策上もマイナスではないでしょうか?塀の代わりの仮囲いも高槻市が設置したということですが、それも含めて、この周辺をきれいにできないのでしょうか?お答えください。
⇒塀については、大阪府北部地震後、ブロック塀を撤去し、仮囲いを設置したもので、現在検討している複合施設の整備に合わせて、塀も含めた敷地内の整備を行う予定です。
(2)ウィキペディアには、近代の普門寺について、「最盛時には3万uの広さに及び、当寺の鎮守社・三輪神社や本照寺も境内にあったが、明治の廃仏毀釈で寺地や諸堂を失い、昭和初期まで専任住職も置かれずに荒廃してしまった。」と書かれています。普門寺の土地が高槻市の土地になったのは、明治37年5月10日の売買が原因だということですが、誰と、誰が、どういった契約をして、代金として、いくらが支払われたのでしょうか?お答えください。
⇒普門寺から富田村へ売買を原因として所有権が移転したものとして、登記簿に記載されております。
(3)戦国時代の文献史料に「普門寺城」という記載はなかったということですが、高槻市のホームページには、「永禄年間(16世紀後半)には、室町幕府の管領細川晴元や14代将軍足利義栄が滞在、普門寺城とも呼ばれていました。」と書かれています。市のホームページに「普門寺城とも呼ばれていました」と明記されているわけですが、この根拠は何なのでしょうか?お答えください。
⇒「普門寺城」は、近代以降、地元で伝承されてきたものと考えられます。
<3回目>
あとは意見ですが、先ほど申し上げたとおり、普門寺の方丈は、建造物としては、高槻市で唯一の国指定の重要文化財で、普門寺の庭園も、高槻市で唯一の国指定の名勝です。普門寺の敷地は、市の条例で、樹林保護地区にも指定されています。
可能かどうかわかりませんが、この方丈で、庭園を見ながら、将棋なんか指したら、非常に絵になるんじゃないでしょうか?大阪万博が始まれば、国指定の重要文化財や名勝があるのなら、と、国内外から富田地区へ訪れる方も増えるかもしれません。
その普門寺へ、参拝者・観光客が行こうとすると、最寄り駅の阪急富田駅からだと、富田地区のメインストリートの1つである、府道鳥飼八丁富田線を通ることが多いかと思います。この大通りを駅から南へ歩くと、高槻市景観賞に入選した寿酒造さんなどの比較的古い木造の建物だけではなく、新しい建物も、自主的に「富田まちなみ環境整備事業」にご協力いただいているのか、白と黒の外壁のものが多くて、統一感のある街並みが出来つつあるのを感じます。
しかし、普門寺は、残念ながら、富田ふれあい文化センターや富田青少年交流センターなどに隠されたような形になっていて、大通りからはほぼ見えません。
ふれあい文化センター等の跡地には、複合施設を建てるということですが、大きな建物を造って、普門寺を、再び、隠すことになるのだとしたら、非常にもったいないと思います。また、せっかく、統一感のある街並みが形成されつつあるのに、鉄筋コンクリートの大きな建物を建てるのは、市のこれまでの富田のまちづくりの姿勢とも矛盾するのではないでしょうか?
普門寺の庭園は、阿武山を借景としていますが、ふれあい文化センター等の跡地には、複合施設ではなく、普門寺や三輪神社の緑などを借景とした公園を造って、複合施設は、駅に近い別の公有地に建ててはどうでしょうか。
先日、普門寺を訪れると、欧米から来た観光客の方がおられました。旅行客は、天候を選べませんので、名勝の庭園が水浸しだと、残念な思いをされるはずです。こういった状況に関して、市は、明確に把握していないということですが、周囲を再整備する際には、ぜひ、水はけの悪さや照り返しの原因について調査をして、可能なら改善してください。
また、跡地には、「てんしば」のような公園もつくりたいといったお話も、以前、職員の方からうかがいました。遠方からの利用者や観光客、インバウンドを見込むのであれば、大型のバスも停められるような駐車場も必要かと思います。ご検討ください。
遺構・埋蔵文化財の調査は、普門寺の東側の土地だけではなく、西側・南側・北側の土地についても、しっかりと行ってください。
それから、普門寺に隣接する市有地のゴミとか、雑然と置かれたものとか、雑草等は、観光上マイナスなので、すぐに撤去して、掃除してください。
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高槻ご意見番 代表 北岡隆浩(高槻市議会議員)