高校時代、青年塾で「志の人」として発表したK君から田んぼのあぜ道で尾崎豊のCDを借りて以来、私の心のど真ん中には、尾崎豊が居座り続けている。無論、他の人達の影響も受けてはいるが、物事の考え方・感じ方、生き方の原点は尾崎だ。
尾崎豊は純粋だった。だから、大人や社会とぶつかる。だから、汚い欲望には敏感だった、と思う。
尾崎豊の求めたもの。それは、自由と真実と、そして愛、かなと、今は考えている。そして、そうした真理を得るために勇気を持って一歩を踏み出し、得た真理に従ってまた一歩を踏み出す。
「それは本当に自由か?」「それは真実に基づいているのか?」「それには愛があるか?」というような自問自答を繰り返しながら生きると、この社会ではまったく生き辛い(笑)。汚い奴を許せず、衝突が絶えない。それが尾崎信者のデメリットですね(笑)。
知恵を使ったりして衝突しないに越したことはないけれど、でも、衝突なしには解決できないこともある。傷つくことを恐れていたら、権力者や金持ちや、力の強い奴の言いなりになってしまう。立ち向かう人間が一人でもいないと、この世の中の大切なものは守れない。
尾崎のことを語りだすと長いので、言いたいことはたくさんありますが、次回に。
最後に、私の座右の銘としている尾崎豊の言葉を。
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時には、過ちを犯してしまうことも、きっとあるだろう。
だけど、過ちにさえ、自分のこの身体でぶつかって、
ひとつひとつの物事を、自分で解き明かしていかなければ、
新しい第一歩は踏み出せないような気がするんだ。
そのために傷つくことも多いかもしれない。
そのために命を落としてしまうかもしれない。
ただ、俺は新しい第一歩のためにこの命を賭ける。
それが俺の生き方だ。
笑いたい奴は笑え。
俺を信じる奴はついてこい。
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PS.
K君、笑わないでね(笑)。
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