2005年10月15日
親父が裁判官だろうが、そうでなかろうが、そんなもんほっといたれや。
何故こんな批判調になるのか分からない。週刊新潮の「父親は裁判官だったという前原代表のウソ」という記事。民主党の前原誠司代表は、中学2年生のときに亡くした父のことを「裁判官」だと言っていたが、実際は「裁判所の総務課の庶務係長」であったと。死因は自殺。借金を苦に、鉄道に飛び込んだのだとか。
確かに、前原代表の言ってきたことは事実とは違うかもしれない。しかし、社会経験のない中学生が父親の職業について詳しくも知らないだろうし、父親も家の中で自分の仕事のことをペラペラとはしゃべらないだろう。裁判所に勤めていた父を、裁判官だと思い込んでいたとしても不思議ではないと思う。
夫に先立たれた前原代表の母も、まだ中学生の息子に自殺の真相など話せなかっただろう。前原代表の父は職場の同僚からも金を借りていたそうだ。であれば、夫の職業のことも語りにくかったに違いない。
父親不在の母子家庭の中で、息子を立派に育てるために「お前の父親は立派な裁判官だった。お前もお父さんみたいな立派な人間になるんだよ」と、プラスのイメージで教え諭したのかもしれない。そうして幻の親父の背中を、天空に輝く星のように見上げながら前原少年は追い続け、奨学金をもらいながら勉強に励み、京都大学に入り、松下政経塾に入り、政治家となって野党の党首にまで登りつめたとしたら、これは「賢母の美談」として語るべきではないか。
私は大学時代から3年ほど、児童養護施設(昔でいう孤児院)でボランティアをしたことがある。そこには親がいない子どもや、親が養育できない子ども、あるいは親に養育を放棄された子どもがいた。中には、親が罪を犯し、刑務所に入っている子もいる。そんな子どもに、親のことをどう説明するか。そのまま真実を伝えれば、子どもの心に暗い陰を落とし、「自分は犯罪者の子なんだ・・・」と成育上あまりよくない影響を与えるだろう。「今お父さんは遠いところで一生懸命働いている。だから君もがんばれ」とか、そういう事実とは違うことを子どもに言うのが普通の感覚ではないか。
日本人は本質的に自虐が好きなのか?そうではないだろ。「近隣諸国」が捏造した歴史を教科書に載せてまで、日本人を犯罪者みたいに子ども達に教え込んで、贖罪意識を植え付けたり、「アジアの国々」の反日資料館なんかに修学旅行でわざわざ出向いて、生徒に土下座までさせてしまう学校もあるが、常識的に考えて、そんなものは子どもの心に悪い影響を及ぼす。自暴自棄のいじけた人間や、国や祖先・親を憎む人間を生むだけだ。自国の歴史については、多少の悪い面はあっても、プラスのイメージで子どもの心に与えるべきだと私は考える(韓国のように、自分達が肯定感を持ちたいがために、異常なまでに歴史を捏造し反日に傾くのはおかしいと思うが)。
亡父の過去を掘り返すような真似をして、自虐史観を押し付けるがごとく、前原代表の生い立ちをわざわざ自虐の色に染める必要なんてないはずだ。
「父親は裁判官だった」というのは、雑誌に書かれているとおり「嘘」なのだろう。でも、尾崎豊風に言えば、愛のある「誰も傷つけぬ優しい嘘」だったと私は思う。その嘘が、仮に少年時代の前原代表が父の死と母子家庭の痛みに耐え切れずに心の中で生み出したものだったとしたって、私は許せると思う。それで有権者が著しく不利益を被ったわけでもない。その嘘で、少年期の前原代表が健全に育ったのなら、それでいいではないか。親父が裁判官だろうが、そうでなかろうが、どうでもええやないか。つまらんことを根掘り葉掘りせんと、ほっといたれや。と思う。
「父を亡くした中学生」というと、イラクで銃弾に倒れた奥克彦大使の息子さんが、葬儀で号泣しながら立ち尽くしていた姿を思い出す。この奥大使の息子さんの健全な成長を願わない人はいないだろう。故人に後ろ暗い過去があったとしても、よほどの公益性がない限り、そんなものは公にするべきではないし、その子どもが、自分のために、自分の親について多少の思い違いをしていても、私はいいと思う。
平成15年12月4日(asahi.com)
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前原誠司氏には説明責任がある
Excerpt: 昨日発売された週刊新潮に、民主党・前原誠司代表についての記事が載っている。 ざっと要点を示すと以下の4点である。
Weblog: アクティブオピニオン
Tracked: 2005-10-15 13:13
お父さんの職業は何だっていいのだ!
Excerpt: 今頃この話題・・ですが。週間新潮も書く記事に事欠いたのか『前原代表の父の職業は 裁判官ではない』というやつです。実際には裁判所の事務かなにかですか?まあいいんですよ。 これが裁判官じゃなくて魚..
Weblog: はちのなわばり
Tracked: 2005-10-22 22:38
|日記|望む者には与えられるのだ!
Excerpt: なんだか、また前原さんネタですが。 珍しくトラックバックされていたのでトラックバック先を追っていくと 興味深い話が。 なんで嘘言っちゃったんでしょう。 そんなことして、後で辛くなるの分..
Weblog: WildjamBlog
Tracked: 2005-10-28 01:13
トラバ返しさせていただきます。
この件に関しては、あなたと私の考え方は違います。「思い違い」なら「思い違いであった」と、ひと言釈明するのが、政治家の責任でしょう。前原さんは、一般人ではないのですから。
ところで、私のブログの他の記事を読んでもらえばわかると思いますが、「安全保障」「国防」についてはあなたや前原さんの基本的主張と私の考え方は「ほぼ同じ方向」だと思います。「空想的な平和主義者」たちに揚げ足を取られないためにも、前原さんには説明責任を果たして欲しい、というのが私の記事の背景にありますので、念のため。
長文、失礼いたしました。また、トラバやコメントなどをお寄せくださいませ☆
最近のマスコミの論調には、しばしば憤慨するモノが多く、近頃は一切テレビ・週刊誌を見なくなってしまいました。
私はカンボジアでNGOに参加して、HIV孤児と共に暮らしておりました。私もきっと彼らに母親の真実を伝える事ができないと思います。
>自分の親について多少の思い違いをしていても
私もいいと思います。
なるほどあなたのおっしゃるとことももっともだなと思いました。
自分の父親を美化したいのはあるしゅ自然の気持ちとしてわかります。
しかし、前原氏は今や中学生や高校生ではありません。二大政党の一方の代表です。京大法学部のご卒業です。
法学部を志願された動機の一部には父親が裁判官であったとの誇りや関心があったのではないでしょうか。
そうであれば、余計に自分の父親がどんな裁判に係わりどんな判決を下したか知りたくなるものではないでしょうか。
お父上も京都地裁とか、京大であれば同じ地元で調べるにはそんなに難しくはないのではないでしょうか。
私事になって恐縮ですが私の祖父ももう半世紀前にもなりますが京都、舞鶴を中心に弁護士をしていました。
孫としてそんな祖父が弁護士としてどんな事件に係わったのか、どんな弁護をしたのか機会があれば調べてみたいとさえ思います。
そんな自分の思い込みから前原氏も今や正確に自分の父親の実像を確認されていたのではないかと類推したのです。
前原氏は一私人ではありません。政権をとれば日本国民の生命財産を左右する責任を負う立場にあるのです。
そのような立場にたつものであれば、よけいに足元の事実を客観的に見据えることが必須の資質ではないでしょうか。
おおげさかもしれませんが、中国や韓国に対するとき、過去の日本の行ったことについていささかの美化があっても相手は納得しないでしょう。
裁判官と事務官では、一般人として社会的影響力のめんで受けるイメージが相当違いませんか。
これは悪い勘繰りというのでしょうが、前原氏はそのことを計算に入れ、どうせ二十数年も昔のことわざわざ詮索するものもあるまいとたかをくくって、自己のイメージを増幅するために援用されたのではないでしょうか。
私はそうゆう姑息な手段を弄する人柄に問題を感じたのです。器が小さいな。ということです。
政治家の瑕疵は、それが小さなことだからといって決して見過ごされるものではないと思います。
政治家の場合、梃子の原理がはたらくからです。
前原氏は今回あまりにもさっそうと登場されたので、こちらもつい過大な期待をしてしまったところ、あっというまにスカートめくりにあってしまい、こちらとしては見たくも無いものみてしまったということでしょうか。
私とて、政治家に何も聖人君子を求めているわけではありません。
否、現今の政治家もっと図太くたくましくあってほしいとおもうのです。
たとえば女性問題が生じると、たいていの政治家は逃げ回り、言いつくろいに懸命になります。
私からみれば何と無様な、何故「何が悪いんだよ。俺は男だ。悔しかったお前もやってみろ。もてないやつがくだらないひがみ根性でひとのけつなど嗅ぎまわるな。」と一喝。開きなおらないのでしょうか。
そうしてここ一番の問題には、ハラを据えて相手と差し違えの覚悟でわたりあう。
今、一番このイメージに近い政治家は、よくも悪くも小泉氏ではないでしょうか。
それにくらべて前原氏はいかにも京都育ちのひ弱さがめだちますなあ!
ようは喧嘩の場数が足りないのでしょう。
せいぜい小沢親分の胸でも借りて修行を積まれることではないでしょうか。
この件について他のブログを見たのですが、前原代表を叩くものばかりで「これは叩き過ぎだろう」と思い、記事を書き、各所にTBさせていただきました。
東松島かろかっくさんがブログで書かれているとおり、これほど公の場で「父は裁判官」だったとおっしゃっていたのですから、釈明は必要だと思います。また、その釈明の仕方によって、政治家としての質も見えてきそうです。
確かに前原代表がどの時点で知っていたかも大きなポイントですね。週刊新潮の取材で知ったとしたら、大変気の毒だと思いますが。松下幸之助は、日ごろ「素直が大事や」と言っていたとのこと。松下政経塾出身の前原代表の素直さが、どれだけのものかも試されると思います。
雑誌は有益な情報をもたらしてくれることも多いですが、部数を売るためにスキャンダラスな形で記事を書きがちです。批判はあっても美談を書くことはあまりありません。この件も、真相が分かった現時点でさえ、見る角度によってはブログに書いたとおり美談にもなりえると思います。
一般人であれば、こんな心の傷に触れるようなことを暴露されることはなかったでしょう。雑誌やネットで滅茶苦茶にかかれ、公人というのは辛いなと思いました。
画遊庵徒然草さんのおっしゃるとおり、今の時代の政治家には、プライバシーの暴露に耐える精神的なタフさが必要ですね。
昔、ムツゴロウこと畑正憲さんが雑誌に「囲碁では、実力が付くと段位があがるのだが、段位があがることによって、その段位に応えるようにして打ち方も変わってくる」と書いていたのですが、そういう風にして「位が人をつくる」ということもあるかと思います。前原さんは今は代表になったばかりですが、しばらくすると、より代表にふさわしい人間になっていくかもしれません。
1年すれば交代するピンチヒッターの代表だ、なんていうようなことが言われていますが、この1年でどれだけのことをされるか、もう少し長い目で見ても良いのではないかと思っています。
親が裁判官というのと裁判所職員というのとで、何かその人の評価が変わるのでしょうか?評価をかえるのとしたらそのほうがおかしい。実態として職業に貴賎はあるのかもしれないが、親の職業による貴賎なんてものはあるわけもありません。