2006年12月25日

夕暮れの冬の街の歌


最近ふとメロディが浮かんだので、作ってみました。

夕暮れの冬の街を少年が駆け抜けて、そして消えていったような、そんなイメージをもちましたので、こういうタイトルにしてみました。

★夕暮れの冬の街の歌

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posted by 北岡隆浩 at 16:31| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作詞・作曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月31日

チベットの歌・中国の歌

horinko.jpg
ある日、大阪地方裁判所に行くと、裏門の前で、写真のような横断幕などを掲げて、一人の男性がビラを配っていました。中国共産党が、法輪功の信者を弾圧し、生きたまま臓器を摘出し売買するなどの残虐行為をしているといった告発でした。

このような中国の残虐な行為を、私達はあまり知ることがありません。それは、中国が隠蔽しているためでもありますが、日本のマスコミが消極的なせいでもあります。日本のマスコミは、何故だかこうした中国の姿を伝えないのです。

先日、インドへ亡命しようとしているチベット人を、中国人民解放軍の兵士が射殺しているショッキングな映像が公開されました。ルーマニアのテレビ局のカメラマンが銃撃現場を撮影したものです。たまたま外国のメディアに撮影されましたが、こんなものは氷山の一角なのでしょう。

★中国軍がチベットの巡礼者を無差別に撃ち殺す映像
http://www.youtube.com/watch?v=o1-y6-Rxyvc


1950年代、中国がチベット人に対して、どれだけのことをしたか。まさに、侵略と虐殺でした。そして現在も、このようにそれが繰り返されているのです。

約1年半前、中国での反日デモ・暴動によって、日本の大使館が破壊されました。そのときに、次の二つの曲をつくりました。「宝塚過激団」というサイトを作って公開していたのですが、うっかりドメインの更新を怠って消えてしまったので、ここで公開しなおすことにします。



■チベットの歌(←クリックすると歌が。アカペラです)

ラララ・・・

かつて 中央アジアに 「チベット」という 国があった
「餓死」という 単語をもたない 分け合い暮らす 優しい民

仏教を信じて ダライ・ラマ法王のもと
独立を保って 本当に平和でいたのに・・・

突然中国が 「チベット人民を 帝国主義から 解放する」と
嘘をでっち上げ 三万五千の 兵で東から 侵略を始めた

誰が信じるものか 「解放」なんて 中国の他には 侵略者はいない
平和も国の存在さえも奪われた wow oh 1950's


わずか八千人のチベット軍は破れ 「人民解放軍」という名の狂気に
若い女性は 無惨に犯され 僧侶は頭を 撃ち抜かれ死んだ
飛び散る血しぶき 中国兵達は 「花が咲いた」と 指差して笑う

仏教を捨てなければ 拷問を受けて デモを行えば 虐殺が待ってた
何もかもが侵略の中で奪われた wow oh 1950's


共産主義者の 毛沢東は 「宗教は毒だ」と ダライ・ラマを嘲り
「四旧打破」と 称して中国は チベットの宗教や 伝統や文化を
破壊して人々の 財産も奪い 抵抗する者は なぶり殺しにした

中国兵士による 食料の強奪で 餓死する者が 続出し始めた
「密告制度」と 「人民裁判」で 人々は信じ合う 心を失くした

「犯罪者」とされた 犠牲者の家族や 友人は処刑の 立会いを強いられた
ある者は両目に 釘を打ち込まれ ある者は生きながら 解剖された

寺院は財宝を 根こそぎ奪われて 戦車の砲弾で 跡形もなくなった
人々が敬った 僧侶は目の前で 糞尿を飲まされて 性交をさせられた
「仏がいるなら 助けてもらえ」と 絞首刑の重しに 仏像が使われた

中国の虐殺で 128万の チベットの人々が 命を奪われた
そして現在も 中国共産党の チベットの虐殺は 繰り返されてる

この惨劇を日本のマスコミは伝えず
国連もエセ反戦平和主義者(ギゼンシャ)も 沈黙したまま
何もかもが中国の闇に奪われた wow oh 1950's wow oh 1950's

命も誇りも 国も言葉も 自由も人権も
宗教も伝統も 文化も風習も 平和も愛も
家族も友人も 絆も信頼も 夢も希望も未来も・・・

侵略された・・・



■中国の歌(←クリックすると曲が流れます)
■FOMA等携帯電話用

暴動(反日デモ)は 俺達(日本人)のせいじゃない
人民統べるための 奴らの
意図的な 反日教育の 結果だと分かっているはず

中国の各地で 湧き上がる 中共政府に対する 不満を
そらすため 己の虐殺を 隠して 反日を煽る

日本のマスコミを 抱き込み 「靖国」を外交の
カードに仕立てあげ 狙う 資源とジャパンマネー

土下座外交と自虐の ツケが回ってきた
誇りを失くしてないなら 真実は失うな


民主化を 求めた若者が 戦車に潰された 天安門
その広場を 文革を指導した 毛沢東が睨み付けてる

数千万の 人民が殺された 「文化大革命」という ホロコースト
チベットや ウィグルじゃ今もなお 虐殺が繰り返されてる 

言論の自由さえ ない国 情報は統制され
文革やチベットの ことも 教科書は教えない

外国も自国民さえも 武力で蹂躙
巨大な悪を見逃して 友好などありえるのか?


石を投げ 大使館を破壊して 日の丸を焼き捨てる野蛮さを
見るがいい 世界の人々よ その目に焼き付けろ

徳のある 偉大な先人の 教えは何も活かされぬまま
人民は 政府の洗脳で 仁義も礼節もなくした 

貧富の差は広がってゆく 一握りの権力者と
劣悪な条件で働く 使い捨ての労働者

虐げられた人民よ 自由を求めろ
民主化こそが本当の 「革命」なんだぜ


南京の 虐殺を捏造し 被害者の数をでっち上げて 
領海に 平然と侵入し 尖閣の領有を主張

日本が 差し出したODA 総額は3兆円を超える
中国は 軍拡で今やもう 有人ロケットさえ飛ばす

核ミサイルと人民の不満を 日本に向けながら
イチャモン外交は果てしなく 繰り返されていく

金も安全も歴史の 真実さえ奪い去る
この国がアジアで唯一の 常任理事国か!?


どんなに土下座を 繰り返しても無駄だ
擦り付けた頭を 踏みつけられるだけさ

靖国をやめたとしても 必ず何かを
言い出してくるのがオチさ 奴らを信じるな

野蛮で狡猾な奴らに 何も与えるな
たとえすべてを奪われても 歴史の真実と 誇りは失うな


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posted by 北岡隆浩 at 23:17| 大阪 ☀| Comment(3) | TrackBack(1) | 作詞・作曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月10日

彼岸花の歌

higanbana1.jpg
「やっぱり世の中には、いい人もいるんだなあ」と最近ふと思うことが。これまでいろいろとお世話になった方もたくさんおられますが、そういう方々との出会いではなく、私の職場である老人ホームの入居者の方々と接しての感想です。

同じ「高齢者」という括りの中にいても、入居されている方の性格はいろいろです。その性格は、認知症を帯びてくると、その人本来のもの、生来のものに近づいていくのではないか。認知症になると、例えば生来暴力的な人は、その暴力的なものがより現れてくるとか。まあこれは私の仮説なので、実際はそうではないのかもしれませんが。

入居中のある認知症の方は、いつも「ごめんね、ごめんね、ありがとうね」と、感謝の言葉ばかり述べておられます。別の方は、いつも他人のことばかり気にかけている。こういう方達を見ると、大きな優しさを生まれながらに持っている人がいるのではないかと思うのです。

でも、そういう方の中には、身寄りもすべて亡くし、面会に来る人もほとんどいない方もおられます。「良いことをすればきっといつかは報われる」と言う人もいるけれど、家族も失い、何も報われぬまま、いずれ息を引き取る。そういう運命にある人がいるわけです。

最近、田んぼのあぜや川の土手に彼岸花をちらほらと見かけます。死人花、地獄花、幽霊花などの異名を持ち、日本では不吉だと忌み嫌われることもある彼岸花の花言葉は「悲しい思い出」だそうです。「悲しい思い出」を背負いながら「彼岸(死)」に近づきつつある方々を、私はどうしても彼岸花に重ねてしまうのです。



★彼岸花の歌(クリックすると音楽が流れます)

愛する人は みんな とうに亡くした
独りの時をずっと過ごしてここに行き着いた

何もかも ただ 受け入れて
「自分のせい」と 笑って言った

悲しみを知りすぎた 笑顔で


あなたは 時々 語ってくれた
幸せの日々 そして それを失(な)くした時

ありふれたことに 感謝して
他人(ひと)のことばかり 気にかけていた

自由さえ失った 身体(からだ)で


何もかも ただ 受け入れて
報われぬまま 瞳を閉じた

悲しみを知りすぎた 笑顔で

悲しみを知りすぎた 笑顔で


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posted by 北岡隆浩 at 23:03| 大阪 ☁| Comment(5) | TrackBack(0) | 作詞・作曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月28日

風の歌

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昨日は風の強い日でした。

追い風、逆風、いろんな風がありますが、特に選挙は、世間の「風」によって大きく左右されます。ただ、風ばかりを気にして進む方向をコロコロと変えていると、「風見鶏」とか「変節漢」とか言われ笑い者にされるわけですが。

どんな方向に風が吹いても、正しい道を歩んでいる人は、長い目で見れば、その人自身がいつか大きな「風」になって、世の中の暗雲を吹き飛ばしてくれるのではないかと思います。

実は、そういう理屈はこの歌を作った後に考えたことなんですが(笑)。この歌はちょうど1年ほど前に作りました。


■風の歌(クリックすると音楽が流れます。FOMAでも聴けたのでびっくりしました)
(前奏)
風が吹いてる 雲を流して
霧を散らして 光満ちてく

灰色の 風景を 変えてゆくような

風が 吹き抜けてく方に
同じ 夢を見つめながら
あなたと 共に築いてく 未来



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posted by 北岡隆浩 at 22:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 作詞・作曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月12日

結婚の歌(仮称)

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唐突ですが、「稲納さんご結婚お祝い会」の時に私が作り、皆で歌った「結婚の歌(仮称)」です。11月に結婚するカップルの二次会で使い回そうと思っていたのですが、その機会がないようなので、このブログでお披露目したいと思います(笑)。

全然音楽の素養がないので、プロの方が聴くとおかしいかもしれません。編曲はヤマハの「らくらく作曲名人2」というソフトの「オートアレンジ」でつけました。お暇でしたら聴いてやってください。



結婚の歌(仮称) ←クリックすると曲が流れる、かもしれません。

A>僕はポケットに 勇気を込めて
A>君はポケットに 優しさ秘めて
B>隣どうしの二人は 言葉少なだけど
B>時が過ぎてゆくうちに 分かり合えた
C>僕が求める夢はまだ 果てしなく遠いけど
C>君となら一緒に 歩いてゆける

A>両手に薔薇を 抱えた僕に
A>君は天使の 笑みでうなずく
B>そして二人永遠(とわ)の愛 神様に誓って
B>僕はそっと君の手を 握り締めた
C>過去に背負った傷跡は 決して消えないけれど
C>心から君だけ 愛し続ける

(間奏:Aメロをハーモニカ・口笛などで)

B>初めて会った頃のこと 覚えているかい
B>傷ついた僕に君は 泣いてくれた
C>昨日までの日々の上に この瞬間(とき)を重ねて
C>今日からは新しい日々が始まる

A>僕は車に 荷物を積んで
A>君は新居で 僕を待ってる



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posted by 北岡隆浩 at 22:41| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 作詞・作曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする